このひとの世田谷

世田谷の街に根ざした活動・取組みを行う人や、世田谷で活躍する「このひと」のインタビュー。それぞれの想いがある世田谷のお話。

2013.08.20

シャッター商店街にかつての賑わいを。まちの家具屋南秀治さん

世田谷代田駅前の商店街。ここはかつて、140軒もの商店が連なる大きな商店街だったことをみなさん知っていますか?現在は、店を開けている店舗は数えるほどのシャッター商店街。今回は、そんな商店街にかつての賑わいを取り戻そうと「世田谷代田ものこと祭り」を始めた、まちの家具屋 南秀治さんに、その経緯やこの街の魅力についてお聞きしました。 [ 8月の特集 世田谷代田の町と「ものこと祭り」]

撮影:kenji miyamukai

撮影:kenji miyamukai

地元の人たちに「恩返し」がしたかった

くみん手帖編集部:もともと、世田谷代田には縁があったのですか?
南:世田谷代田には、4年前に引っ越してきたんです。家具デザインの専門学校を卒業して、自分の作品を自由につくりたいと、工房を探して不動産屋さんを歩き回りました。「家具工房をやりたいのですが…」と言うと、怪しいと思われたのか、全く相手にされませんでした。それで、当時住んでいた三軒茶屋を中心に、シャッターが閉まっている物件を探しては、直接大家さんに頭を下げて回っていたんです。失望感を持ち始めた頃に出会ったのが、世田谷代田駅前の、クリーニング屋さんのおばあさんでした。長年続けてこられたクリーニング屋さんでしたが、閉店を決めた直後だったそうです。

大家さんはもちろんですが、何始めるの?ってみんな声を掛けてくれて。とにかく街の人たちが、あたたかいんです。都会なのに、こんなに人と人の距離が近い街があるんだって、ちょっと感激しました。

くみん手帖編集部:今は少し寂しい世田谷代田商店街ですが、昔は賑わっていたのでしょうか。

南:かつては、140軒ものお店が連なっていたそうです。昭和38年に環状7号線の開通工事があって、商店街が分断されてしまったのだとか。お店の数もだんだん減って、かろうじて続けてきたいくつかの店舗も、後を継ぐ人がいなかったりで…。こうした状況を目の当たりにして、工房をオープンしてすぐに、地元の人たちに「恩返しがしたい」と考えるようになったんです。

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昔の中原商店街

昔の中原商店街

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見たかった景色を、1日だけ実現できた「ものこと祭り」

南:家具工房には「monocoto」という名前をつけたのですが、同じ家具デザインの専門学校を卒業した4人のメンバーでこの場所をシェアしています。僕たちはつくり手なので、つくり手の仲間たちをこの街に呼んで、お祭りをしてみたらどうだろうってメンバーに提案してみたら、みんな賛同してくれて。最初は、200人くらい来場してくれるかなぁって言っていたんです。そうしたら、蓋を開けてみたら、来場者は900人。嬉しかったと同時に、驚きました。

普段は人が通らない商店街に人が通って、誰も立ちどまらないショーウィンドウに人が立ちどまって…。見たかった景色を、たった1日だけですが、実現できました。店先を貸してあげていたおばあさんが、出店者さんに「売り方教えてあげるわよ」ってやりとりしていたり。子どもたちは、竹とんぼのつくり方や飛ばし方を、おじいさんに教えてもらったり。いろんな場所で、人と人との接点をつくることができたかなって思います。

くみん手帖編集部:こけしアートプロジェクトや、流しじゅんさいなど、個性的な企画が盛りだくさんでしたよね。

南:こけしは、アーティストと使い手をつなぐためのきっかけづくりとして始めてみたんです。つくり手として、個人でできることには少し限界も感じていて。ひとりでは、そんなに多くの人の心を動かせない。でも、100人のアーティストが集まって、それぞれが10人に伝えれば1,000人になるし、1体のこけしよりも100体のこけしの方が心を動かすエネルギーを持っていると思うんです。

流しじゅんさいは、実行委員メンバーのひとりが、秋田県のじゅんさい産地とつながりがあって。じゅんさい流したら面白いんじゃない?と。竹を割って準備をするところからみんなでやって、初めての試みで大変でしたけど、とても盛り上がりました。

実行委員会のメンバーがまた、面白い人たちなんです。実行委員は20人以上いますね(笑)。実は世田谷代田に住んでいない人の方が多かったりする。人が人を呼んで、どんどん増えているんです。中には、昨年も手伝ってくれて、世田谷代田に引っ越しをしてきた仲間もいますよ。嬉しいことですね。

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「ありがとう。」で食べていける街にしたい

くみん手帖編集部:「世田谷代田ものこと祭り」のコピー、“ありがとう。で、つなごう”に込めたのは、どんな思いでしょうか?

南:昨年は、まず第一歩。あまり深く考えずに、やってみたんです。商店街に人が行き交う風景を見て、これをどうやって日常の景色にできるだろうって。いきなり日常の景色にはできなくても、例えばこの祭りを10年続けていくなかで、「ありがとう。」でつながって、「ありがとう。」で食べていける街にしたいなって思うようになりました。昔は、そうした暮らしがなされれていたはずなんです。今は、そういう人のつながりが欲しかったら、田舎暮らしをしたらいいよということになってしまう。東京の真ん中で、実現したいんです。

都会はお金が手に入るけど、心が寂しくなる。田舎は心が豊かになるけど、お金がたくさんは手に入らない。どっちかを無理矢理選ぶ生き方が、今の日本ではあたりまえなのかもしれない。でも、都会と田舎のいいとこ取りをするのが、僕の究極の夢です。例えば、1年のうち半年くらい都会で過ごして、その間は自分の仲間が、田舎で仕事をしている。半年したら、自分が田舎に行って、仲間に都会に戻ってきてもらう。

くみん手帖編集部:家族ぐるみの話となると、なかなか難しそうですが。

南:保育園や小学校など、子どもの教育に関してハードルはありそうですが、やってしまえばできるような気がするんです。世田谷代田ものこと祭りを運営して得たものは、仲間です。商店街の人に声を掛けていただいて、地域の消防団にも入団しました。声を掛けていただいて、とても嬉しかったんです。こうした大切な仲間たちと、今度は人生もシェアしたい。そんな心の通った暮らし方を、世の中に提案してみたい。きっとできるって信じているんです。

撮影:kenji miyamukai

撮影:kenji miyamukai

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南さんの思いを聞いて、人が集まり、やがて集まった人たちがそれぞれに「ありがとう。」を別のかたちで誰かに伝えていく。「伝え手」になることは特別なことではなくて、共感して、自らも発信していけば、誰でもできることなのだと思いました。

今年の「世田谷代田ものこと祭り」は8月25日。うちわ持参で、ぜひ世田谷代田の街にふらっと出掛けてみてはいかがでしょう。

南秀治
小田急線世田谷代田駅前の、まちの家具屋。自分の作ったものだけでなく、お客様がモノを大切に使っていただけることが一番の喜び。世田谷代田が「ありがとう。」でつながる街になったらいいなと夢見ています。

[ 8月の特集 世田谷代田の町と「ものこと祭り」]

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紹介者プロフィール

増村 江利子

国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経て現在はフリーランスディレクター。一児の母。主なテーマは、暮らし、子育て、食、地域、エネルギー。毎日を、ちょっぴり丁寧に暮らしたいと思っています。

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