みんなの世田谷レポート

世田谷で行われたイベントやワークショップなどの体験レポート。くみん手帖編集部およびくみんライターが参加した感想や、当日聞いたお話、エピソードなどをご紹介。

2013.07.03

文化もユニバーサル化へ、世田谷パブリックシアターの出張公演

劇場を飛び出し、生活のある場所で公演を行っていこうというアウトリーチの考え方を実践している世田谷パブリックシアター。小学校への出張公演、市民参加型の演劇ワークショップなど、さまざまな取組みが行われています。しかし、そんな中でも老人ホームで、演劇の巡回公演が行われていることはあまり知られていません。4年目を迎え、新作の上演が始まった「@ホーム(あっとほーむ)公演」の様子を取材してきました。

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いつものホールが別世界に

この日やってきたのは、上北沢ホーム/デイ・ホーム上北沢という、入居している方と、日帰りのデイサービスを受けている方の両方がいらっしゃる施設。1日に平均45名のデイサービス利用者がいる施設で、世田谷区では2、3番目に大きな規模のホームです。

この日公演の舞台となったのは、一階のレクリエーションホール。会場までゆっくりと歩いてくる方、車椅子に乗っていらっしゃる方さまざまですが、続々とお年寄りが集まり、60名ほどの観客がホールに並びました。
公演が始まるまでの間、前座は職員の方が務めます。「最近は雨が多いんだか少ないんだかよく分からない天気ですけれども…」と始まり、芸達者な話術でお年寄りたちの関心をひきます。

そしていよいよ「@ホーム公演」の新作、『きみといつまでも〜わたしのお父さんはロボットです〜』(ノゾエ征爾さん脚本/演出/出演)が開幕します。この作品のストーリーは「森に住む女の子とロボットお父さんのちょっと変わった親子と、ふたりをとりまく青年と動物がおりなす、ドタバタ人情物語!(資料より)」というもの。しかし大掛かりな舞台セットはなく、観客の前に置かれているのは黒板だけです。開演前は、状況がよく飲み込めず、ポカンとしている方も目に付きましたが、その不安はすぐに吹き飛ぶことになりました。

上演に施された工夫の数々

というのも「@ホーム公演」では、お年寄り向けにさまざまな工夫がされています。まず劇の始まりには、皆の顔見知りである職員さんが前座を務めた後、扮装して出演し、場を和ませます。その後登場した4人は全員がプロ。出番になると自己紹介し、役名を黒板に大きく書きます。滑舌(かつぜつ)のいい話し方、平易な言葉づかい、そして黒板を使った文字の補助など、耳が不自由な方や理解に時間のかかる方に配慮ある演出のお陰でぐっと観客が前のめりになったのを感じました。

ほかにも、世界的なパントマイミスト山本光洋さんによる、見事なロボットの動きや、「三百六十五歩のマーチ」「君といつまでも」をはじめとする懐メロに、観客はみるみる惹き込まれていきました。舞台セットの黒板も、役者が隠れる場になったり、人形劇の舞台になったりと大活躍。また、お年寄りがパントマイムに一部参加するような仕掛けも、会場を沸かせます。随所にこれでもかと引き込まれる要素がてんこもり。しかも演じるのは、世田谷パブリックシアターほか各地で活躍するプロの演出家や俳優たちです。ストーリーや演技のクオリティを保ちつつも、直観的でわかりやすい、すばらしい舞台をつくりあげていました。

プロの演技に顔がほころぶお年寄り

始まる前は「何を言っているのか分からない」と不安がっていたおばあさんも、始まってみるとケラケラ笑っていたり、微動だにせずじっと見入っていた方が、「朧月夜」が流れた瞬間に、はっきりと美しい声で口ずさんだり。皆うんうん頷きながら体を揺らし、さまざまに楽しんでいました。「君といつまでも」は全員で大合唱となり、最後には涙を流す人もあちこちに見られました。「来てもらってありがたかった」「本当にかわいかったねぇ」「飽きさせないからすごい」と、客席のあちこちからの感謝の声とともに、30分の夢の時間は終わりました。

アウトリーチ演劇の意義

観劇を終え、この4月から上北沢ホームの施設長を務める、木谷哲三さんにお話をうかがうことができました。木谷さんは、以前は世田谷パブリックシアターも管轄する世田谷文化生活情報センターの副館長で、平成22年から始まった第一弾「@ホーム公演」を実現させた立役者の一人でもあり、今回のような公演の意味を当事者として実感されている方です。

木谷「もともと世田谷パブリックシアターでは、劇場を飛び出して芸術を生活の中に取り入れるような活動を目指してきました。しかし、施設に入所されているようなお年寄りには、なかなか演劇を届けることができませんでした。一方で、世田谷パブリックシアターにとって、若手演出家の育成事業も大事な役割です。そこがマッチしたのが、当時まだ新人だったノゾエ征爾さんが新作をつくり、老人ホームを巡回するという試みでした」

前作の『チャチャチャのチャーリー〜たとえば、恋をした人形の物語〜』は、3年かけてのべ30施設で公演、1800人の方々が鑑賞したといいます。この日こけら落としだった新作も、重度障がい者施設を含め、名乗りを挙げた世田谷区内11ヵ所の施設を、2週間かけて回ります。

木谷「介護の現場にも、本物を提供すること、そしてそれが《演劇》である点もポイントです。芝居は、意図的に感情を増幅させて表現しますよね。それがいいんです。普段あまり笑わない認知症の方が大笑いしたり、落ちつきのない方が集中して観劇したり、いつもと違う表情が引き出される。演劇には、セラピーとしての可能性もあるのだと実感しています」

もちろん、お年寄りの方々だけでなく、演出家、俳優をはじめとしたスタッフにとっても、この巡回公演はいい経験です。「観客と一緒にいい舞台ができる」といわれる演劇の現場。閉じた蓋が開くように感情を表に出して観劇するお年寄りの方々とつくる舞台は、格別な喜びがあるそうです。

木谷「@ホーム公演であっても、世田谷パブリックシアターでやる演劇と、何ら変わりない手順で作品づくりをしていますよ。スタッフもみなプロです。文化もユニバーサルデザインの時代。本物を、今まで届きにくかった人の元へきちんと届けることが大事な時代になってきています」

木谷さんがいうように、日常生活の中に潤いを与える芸術の楽しみは、日常生活が困難なところにこそ、必要とされています。今のところ、東京都内で「@ホーム公演」のような取組みをしている区は、他にありません。世田谷パブリックシアターが贈る夢いっぱいの演劇は、施設にいる方々を楽しませることはもちろん、福祉の文化化、文化のユニバーサル化、両方の課題に応える手法として、今後さらに重要な役割を担っていくのではないでしょうか。

(撮影:庄司直人 )

世田谷パブリックシアター@ホーム公演
『きみといつまでも ~私のお父さんはロボットです~』
脚本/演出=ノゾエ征爾
出演=山本光洋、たにぐちいくこ、井本洋平、ノゾエ征爾

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紹介者プロフィール

小野 民 (おの・たみ)

東京生まれ、宮城育ち。大学卒業後、(社)農山漁村文化協会へ入会。バイクで全国行脚をする営業生活を経て、編集局に配属になり、食について扱う雑誌編集に携わる。退会後、フリーランスの編集者となり、広く《食べごと》を豊かにしていくべく活動中。

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