2013.01.29
歴史と伝統を誇る「世田谷ボロ市」
昨年12月と今年1月に開催された「世田谷ボロ市」。実際に訪れたことや、耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。今年も世田谷線の臨時ダイヤが出るほど多くの人で賑わったボロ市をレポートしました。
世田谷にはたくさんの「訪れたい場所」がある。古くから愛されてきたお店や、知る人ぞ知る穴場など、地元の情報をご紹介。思い出に残る昔の世田谷から今の世田谷まで。
明けましておめでとうございます。2014年の始まり、新たな抱負や願いを胸に新春を迎えられたことと思います。旧年の感謝を捧げ、新年の無事と平安を祈願できる世田谷でも有名なパワースポットを訪ねて、新年にふさわしいお参りのお作法を教えてもらいました。
「玉川大師の地下霊場に行くと、四国88ヵ所と西国33番巡りをいっぺんにできちゃうんだよ」という、ありがたい噂を聞きつけやってきた二子玉川。にぎやかな二子玉川駅周辺の喧噪を抜けて、てくてく歩くこと10分ほどで「玉川大師」の看板を見つけられます。
節目のお参りは、パワースポットに行っておけば間違いなし、と浅知恵でやってきた私でしたが、玉眞院玉川大師住職の眞保龍言さんに、お寺と地下霊場についてのお話を伺い、考えを改めることになります。
「地下霊場が完成したのは1934年(昭和9年)のこと。それまでに何度も四国88ヵ所のお参りをしていた当時の住職が“88ヵ所巡りに行けない人が参拝できる場所を”と、さまざまな方にご尽力いただいてつくった場所です。それから80年、地下霊場はずっと人々の営みを見守っていて、第二次世界大戦のときは防空壕としても使われ人々の命を守りました。2011年の東日本大震災の際には、ひとつの石も欠けることもなく無事だった石仏に宮大工も驚いていました。それだけ霊験あらたかで、仏様に守られた場所なんですよ」(眞保さん)
なるほど、この場所を大事にして、命をも守られてきた人々がいたからこそ“ありがたい場所”“ご利益のある場所”となっていったのですね。パワースポットについても尋ねてみると、「パワースポットだから良いというわけではなく、そこでさまざまなものに感謝し、すっきりと清らかな気持ちで帰れることがお寺に来る意味なんですよ」と眞保さんはおっしゃいます。
さて、いよいよ地下霊場へ。本殿内の左手にある階段から、地下に降りて行きます。地下は神聖な場所なので撮影禁止。狭くて危ない場所もあるので、手荷物も預けます。灯明料は150円で、初めて入るときはだれでも霊場の説明をしていただけます。丁寧な対応だと感心したのですが、その後地下に降りてみて納得。ここに説明なしに足を踏み入れたら、心細くてたまらないはずです。一歩足を踏み入れると漆黒の闇に包まれました。その暗さと静けさは、暗闇の“胎内巡り”で有名な長野県善光寺の比ではありません。
地下には、お経に書かれた場面の再現があり、その先に四国88ヵ所と西国33ヵ所にゆかりのあるお大師様、観音様が並んでいます。石仏は合わせて300体。すべて手彫りです。ぐるりと仏様に囲まれる経験はなかなかできるものではありません。その感覚は何とも不思議なもので、自分の人生を振り返ったり、未来に想いを馳せたりして静かなひとときを過ごしました。
霊場にある四国88ヵ所に対応した石仏は、年齢と対応しているそう。例えば、現在30歳の人は数え年である31番目の仏様の前で手を合わせて祈ります。
「願いごとは2つでも、3つでもいいんですよ。ただ、願いごとは自分1人のものじゃない。他にもその願いを持っている人が必ずいて、その人たちと心を合わせて、手を合わせて、自分は代表でお参りしているんだと自覚することが大事です」(眞保さん)
たくさんの願いを持っていいけれど、祈願成就を独り占めしないこと。そんな考え方に出会って、目からウロコが落ちるようでした。それから自分の数え年の仏様の前、奥の院の大きな弘法大師様の前、手を合わせる度に、温かな気持ちで手を合わせる自分がいました。実はこれまで、どう祈っていいかの作法がよく分からず、そわそわとして手を合わせていたのですが、真っ直ぐ立ってお参りできるようになったのは、嬉しい収穫です。
「自分が自分がという我欲が強くなっている時代です。そんな時代に、お寺はみなさんが心を合わせる場所を勤めることに意味がある。仏様に手を合わせるとき、お経じゃなくてもいいんです。自分の想いを、自分の言葉で伝えることも大事なことですよ」(眞保さん)
2014年の抱負をしっかりと仏様に宣言し、今日の心構えを忘れないためにお守りを受けて、私の参拝は終了。2014年の終わりに清々しい気持ちでお守りを返納できるよう、1年精進したいものです。
住所: | 世田谷区瀬田4-13-3 |
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東京生まれ、宮城育ち。大学卒業後、(社)農山漁村文化協会へ入会。バイクで全国行脚をする営業生活を経て、編集局に配属になり、食について扱う雑誌編集に携わる。退会後、フリーランスの編集者となり、広く《食べごと》を豊かにしていくべく活動中。
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