2015.07.08
笑顔のあふれる場所「チャイニーズレストラン 欣喜」
祖師谷大蔵駅北口から伸びる祖師谷通り。その一本路地を入ったところにある祖師谷大蔵丸芳飲食街、通称「まるよし横丁」の一角に店舗を構える「チャイニーズレストラン 欣喜(きんき)」。旬の野菜をたっぷり使い、中国四大料理それぞれの特色を生かした料理は、地元のみならず人気を呼んでいます。
世田谷にはたくさんの「訪れたい場所」がある。古くから愛されてきたお店や、知る人ぞ知る穴場など、地元の情報をご紹介。思い出に残る昔の世田谷から今の世田谷まで。
昨年12月と今年1月に開催された「世田谷ボロ市」。実際に訪れたことや、耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。今年も世田谷線の臨時ダイヤが出るほど多くの人で賑わったボロ市をレポートしました。
2012年12月15・16日と2013年1月15・16日の4日間に渡って「世田谷ボロ市」が開催されました。世田谷線の世田谷駅と上町駅を結ぶ、通称「ボロ市通り」で行われるこの市には、毎年700店もの露店が軒を連ね、数十万人もの人々が訪れるといいます。
取材で訪れた1月15日は、前日の大雪の影響で足下が悪かったにも関わらず、骨董類や古着、古本、植木類などが所狭しと並ぶ通りは、多くの老若男女であふれ、賑わっていました。2007年には東京都指定無形民族文化財にも指定され、長い歴史と伝統を誇る世田谷ボロ市の光景には、どこか昔懐かしい雰囲気が漂います。
ボロ市の歴史は、430年も昔にさかのぼります。天正6年(1578年)、小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりで、当初は毎月1の日と6の日に月6回開催され「六斎市」ともいわれていました。
この世田谷エリアは江戸と小田原を結ぶ重要な拠点として栄え、楽市がなくなった後も、農具市・古着市・正月用品市として毎年12月15日に行われる歳の市として長く保たれてきました。明治になり新暦が使われてからは正月15日にも開催されるようになり、やがて16日の両日開催となりました。
ボロ市の名の由来は、農家の作業着のつくろいや、わらじに編み込むと丈夫になるといわれていた「ボロ布」で、かつてはボロ布が盛んに売買されていたことから「ボロ市」の名が生まれました。大正から昭和にかけて出店数は8〜900店から最盛期には2,000店にものぼったそうです。
ボロ市通りに並ぶ露店を1店1店のぞいてみると、アンティーク雑貨や古本、古レコード。まな板やお皿などの日用品。豆やこんぶなどの食料品。サボテンや多肉植物などの植物類など、実に多種多様な商品がずらり。10数年も継続出店しているという80歳すぎのお祖母さんの手作り帽子や、滋賀県から訪れた男性が出店する粋な柄の帯や古着物も。いたるところで威勢のよいかけ声や、お客さんとの賑やかなやりとりが聞こえてきます。
そんなボロ市の名物といえば、「代官餅」。その場で蒸してついたお餅にあんこ、きなこ、からみ(おろし)をまぶした3種類があり、この日にしか販売されない代官餅を求めて、毎年長蛇の列ができます。購入後、隣のスペースで立ちながら代官餅をほおばるお客さん達の姿や行列はボロ市ならではの1コマです。
今回は5年に一度の「代官行列」も行われました。代官行列は、地域の人々が江戸当時を模した装束を身につけて代官屋敷から会場を練り歩くもの。会場一帯は、このパフォーマンスを一目見ようと集まるお客さんでも賑わっていました(雪の影響で翌日開催されました)。
ボロ市を主催するせたがやボロ市保存会副会長の熊澤さん(80)に、ボロ市についてお話を伺いました。
「今年の出店数は約720店舗です。その中には、30年以上出店を続けているお店が80〜90店もあります。ボロ市に出店するには根性が必要ですね(笑)。今年はボロ市開催450年の節目の年でもあり、これを記念してボロ市保存会では、長年出店している35店舗を優良店として表彰もしました。出店者さんは全国から集まります。今年の出店者さんは、遠いところでは北は青森、南は鹿児島から来ています。」
遥か遠方からも訪れ出店するボロ市。その魅力とは、何なのでしょうか?
「出店者さんからすると、ボロ市に店を出すということは誇りであり、同時に、他のお店やお客さんと毎年再会できる場所でもあります。そして、お客さんからすると、ボロ市にくれば買える。という期待があるのだと思います。お客さんは、若い人も増えてくれていますね。」熊澤さんは、今も昔も、ボロ市の賑やかな様子は変わらないと言います。
長い時代を経ても伝統が守り続けられている世田谷ボロ市。ここでは世田谷に集まる人の営みと、ボロ市という場所から生まれる人と人との交流が今もなお受け継がれていました。
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