このひとの世田谷

世田谷の街に根ざした活動・取組みを行う人や、世田谷で活躍する「このひと」のインタビュー。それぞれの想いがある世田谷のお話。

2014.01.18

クラフトマン世田谷白井さんに聞く、被災地で役立つ事とは?

「ものづくり」を軸として社会貢献活動を行っている団体によって、東日本大震災で被害を受けた被災地にキッズハウスが建てられました。その団体が、「クラフトマン世田谷」です。始めは友人のために個人的に支援活動をスタートさせたという、木工家であり代表の白井糺さん。今では、40名程のボランティアと一緒に被災地へ出向き、ものづくりによる支援をしています。被災地支援を含む、白井さんのものづくり活動のお話を伺いました。
[1月の特集]暮らしをもっと素敵に!世田谷のものづくり

白井さんの自宅兼工房

白井さんの自宅兼工房

ものづくりは自然なこと

世田谷くみん手帖編集部(以下、くみん手帖):「クラフトマン世田谷」の代表を務められていますが、本業は木工家ですよね。

白井さん(以下、敬称略):そう。大田区にある実家が木型を作る木工屋だったから、中学を卒業してから僕も木工を始めたんです。実家の周辺は町工場がたくさんあって、工具を買うにしてもすぐ近所で買えたから、ものづくりの環境が整っていたんですね。何をつくるにも楽にできた。そういう環境で育ったから、僕にとってものづくりは自然なこと。でも、途中でバイクショップを10年間営んで、それからまた木工の世界に戻ったんです。

くみん手帖:バイクショップは世田谷で始めたんですか?

白井:うん、20年以上前にね。ある日、いつも店に来ていた仲間たちとバイクで出掛けて競争していたら、仲間の走りを心配して自分が一番後ろにいたんです。それは、いつの間にか仲間を “客”として見ていたから。単なる仲間だったら、競争なんだから後ろから見守らなくてもいいでしょ?それで、潔くバイクショップを辞めた。そのときの仲間とは今でも繋がっていて、それが縁で被災地支援を始めたんです。

自宅兼工房の一角。ここで雑誌の企画で木工を教えたりTV収録なども行っている

自宅兼工房の一角。ここで雑誌の企画で木工を教えたりTV収録なども行っている

最近はアフタースクールの講師など、教える仕事が多いという

最近はアフタースクールの講師など、教える仕事が多いという

被災地で必要とされた、ものづくり

くみん手帖:被災地支援はどんな経緯で始められたのですか?

白井:オートバイ仲間が大船渡市に住んでいるんです。被災直後は連絡が取れなかったけど、すぐに元気なのがわかったから、仲間のために荷物を積んで行こう!と。昨年夏までは毎月物資を運んだり、現地でできることをしていました。でも、個人でやるには金銭的にも限界がある。そうしたら、世田谷区で助成金制度があるのを知って、ものづくりで復興支援をする「クラフトマン世田谷」を立ち上げたんです。

くみん手帖:現地ではどんなことをしていたのですか?

白井:被災から数ヶ月後に現地でベースキャンプを作ったら、意外にもたくさん依頼が来たんです。多かったのが、「看板を作ってほしい」「(棚や家具用の)木を切ってほしい」という声。ノコギリもないし、ホームセンターへ行くのに何時間もかかっていたからね。こんなにも、ものづくりが必要なんだなと実感した。それで個人的に、看板を作ったり、何もない仮設住宅のために棚を作ったり、工具メーカーからセットをたくさん送ってもらって、誰でも自由に工具を使えるスペースを作ったりしました。

お年寄りのためにスロープをとりつけた被災地の仮設集会場

お年寄りのためにスロープをとりつけた被災地の仮設集会場

被災にあった美容師夫婦のために看板を制作

被災にあった美容師夫婦のために看板を制作

みんなで集結して作ったキッズハウス

くみん手帖:ドリルを使うとか木を切るとか、ちょっとしたことが必要とされたんですね。

白井:そう。他にも、ボランティアのための洗濯板を作るとかね。あと、現地の子どもたち対象に箸づくり教室を開いたんだけど、これまで各地でやってきた経験上、普通は自分の分しか作らないのに、被災地の子どもたちは自ら自分と家族の分も作っていた。それには感動したなぁ。

くみん手帖:助成金を受けてからはどんな支援を?

白井:参加者と三軒茶屋からバスで出発して、大船渡に3日間でキッズハウスを作る、という活動を9月にやったんです。東京より40人、現地参加合わせて全部で60人集まってくれて、子どもたちが遊べる木の家を作ったんだけど、参加者には、壁作り、キッチン作り、ペンキ塗りなどのチームに分かれて作ってもらった。工具は僕が用意したけど、基本丸投げしたからみんな一生懸命作ってくれました(笑)。被災地では小学校や校庭に仮設住宅が建てられたから、遊び場が少ないんです。だから、子どもが遊べる場所を作りたかった。今でも使われているみたいですね。

「クラフトマン世田谷」としての復興支援。キッズハウスの各部位をチームごとに制作

「クラフトマン世田谷」としての復興支援。キッズハウスの各部位をチームごとに制作

できあがったキッズハウスの壁。小窓から子どもたちが顔を覗かせて遊んでいる姿が目に浮かぶ

できあがったキッズハウスの壁。小窓から子どもたちが顔を覗かせて遊んでいる姿が目に浮かぶ

人口600人の島に、木工工房を

くみん手帖:被災地支援の他にどんな支援活動をされているのでしょう。

白井:フィリピンのカオハガン島という、人口600人の島があるんだけど、そこは崎山克彦さんという日本人がオーナー。僕がずっと連載している『ドゥーパ!』という雑誌の編集長に崎山さんを紹介されて、島民に木工を教えてほしいと言われて現地へ行ったんです。島民はみんなものづくりをしたかったらしいんだけど、教える人もいないし、機材もない。この島は産業もなくて、観光客が来たら貝を売ったり、女性は手づくりのキルトで生計を立てている。でも男性は仕事がないんですよね。セブ島まで船で30分だけど、定期船がないからセブ島へも通えない。だから、カオハガン島に工房を作って、仕事に繋がればいいなと思っていて。今回は支援活動の資金を得るために、『READY FOR?』に申し込みました。6月に現地へ行って工房を作る予定です。

また今年も助成金にチャレンジして、被災地でものづくりをしたいですね。自分一人の力ではできないことも多いけど、みんなが結集すればできるからね。

※カオハガン島支援のサイトはこちら >> https://readyfor.jp/projects/caohagan

カオハガン島で木工レクチャー。みんな作業に真剣。ここから未来の木工職人が誕生する日も近いかもしれない

カオハガン島で木工レクチャー。みんな作業に真剣。ここから未来の木工職人が誕生する日も近いかもしれない

「クラフトマン世田谷」の呼びかけに集まった参加者。若い女性の参加率が高かった

「クラフトマン世田谷」の呼びかけに集まった参加者。若い女性の参加率が高かった

プロフィール
白井 糺
木工家、「クラフトマン世田谷」代表
木型屋を営む実家で木工職人として働くが、20〜30代でバイクショップを営み、その後木工職に復活。木工歴、約35年。現在は、工房のある世田谷を拠点に国内や海外を飛び回り、木工やDIYの普及に力を注いでいる。

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紹介者プロフィール

沢田美希

編集・ライター(ASOBOT inc.)

高校卒業後、上京。デザイン系専門学校インテリア・雑貨スタイリスト科卒。その後、カルチャー誌の編集、音楽会社映像部門勤務を経て、ASOBOTへ入社。『metropolitana』『Starbucks Press』『Dean&Deluca』『Grass Roots』をはじめとするメディアを通して、ライススタイルや旅、カルチャーなどに関するコラムやフィクションを執筆。

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