NPO法人ohana kids代表の友岡宏江さん、若林の施設前にて。
他の子と同じように、普通の子育てをしたい
世田谷くみん手帖編集部(以下、くみん手帖):まずは友岡さんと娘の壽音(じゅの)ちゃんのことからお聞きしてよいですか?
友岡さん(以下、敬称略):私の娘、壽音には13トリソミー症候群という重度の先天性障害があります。出生約1万人当たり1人持って生まれるとされ、病状が重いために生後1カ月を前に亡くなるケースも多く、1年以上生存できる割合は10%未満と言われています。妊娠中に障害のことがわかり、ドクターからは「無事に生まれるかどうかはこの子の生命力しだい」と言われ、とにかく無事に生まれてきて!と願っていました。でも、生まれた瞬間、壽音は大きな声で泣いてくれて、すごく元気だったんですよ。「やってきたよ!生きたい!」という思いをすごく感じて、
他の子と同じように普通の子育てをしたいと強く思いました。
壽音ちゃんは今年で12歳に。同じ障害のお子さんを持つ家族にとって希望の星だそう。
くみん手帖:壽音ちゃんは厳しい確率を乗り越えて力強く生まれてきたのですね。無事生まれたこと、さぞうれしかったことでしょう。
友岡:でも、10ヵ月ほどの入院を経て退院すると、ぜんぜん普通に生きられなかったんです。いっぱいつまずくんですよ。例えば保育園に入園できなかったり、一時預かりさえもできなかったり。1万分の1の確率でさらに1歳になれるのは10%未満の生存率という障害なので、看護師さんでさえ見たことがないというほどで。さらに、私はひとり親なので生活のすべてがのしかかってきて、あっという間に困難な状況に追い込まれていきました。
くみん手帖:出産した時に思い描いていたような、普通に子育てすることなんてまったくできなかったのですね。
友岡:当時のことはもう記憶がなくて…。子育てもまったく楽しめなかったですし、思い出したくない感情もあるので、「パンドラの箱」と命名して、こういう取材の時以外は封印しているんですよ(笑)。
看護や介護だけでなく、遊びも取り入れて子どもらしい時間を大切にしている。
壁になっているのは制度。隣の人はみな優しかった
友岡:子どもに障害があると、物理的にも精神的にも家族だけでは動けないことが多いのですが、一番大きな壁になっていたのは制度でした。当時は、病院にいた子どもたちが家に戻って家族と一緒に過ごすとなった時に使えるサービスが極めて少なかったんです。
くみん手帖:それで、ご自身で『ohana kids』を立ち上げたのですね?
友岡:はい、「オハナ」はハワイ語でファミリーという意味があります。自分自身が当事者家族であったことで同じような仲間に出会って、みんなが同じように困っていることを多く感じたことから、もうひとつの家族として伴走していけたらいいな、という思いを込めました。そして、障害があっても子どもが子どもらしくいられる居場所を、子ども同士が関わったり親同士が繋がれる場所を作りたい、と思いました。
くみん手帖:ほぼ24時間の看護状態に加えて、経済的にも家庭を支えていかなければならない。そんな状況で施設を立ち上げるなんて大丈夫なの!?と勝手に心配してしまいますが…。
友岡:最初は反骨精神でした(笑)。「どうして自分は普通に子育てできないんだろう」って。でも、いざ動いてみたら手を差し伸べてくれる方がいっぱいいたんです。
ハードルを上げているのは制度であって、隣の人たちはみんな優しく私たちのことを理解して一緒に動いてくれたんですよ。
くみん手帖:施設立ち上げのためのクラウドファンディングも大成功だったそうですね。
友岡:資金面の成功はもちろんですが、医療的ケア児や13トリソミーという障害のことを広く伝えるための良い手段だったと思っています。
また、うれしかったのは、使わなくなった医療物品などをたくさん寄付していただいたこと。「天国にいっちゃったあの子の機械がここにあるから、
きっと一緒に遊んで見守ってくれてるね」などというご家族の声一つ一つ、大切に受け止めさせていただきました。
お正月はみんなで初詣へ。外へお出かけするのもみんなと一緒だと楽しいし心強い。自信もついた!
この子たちの未来をどこまでも信じたい
くみん手帖:『ohana kids』が大切にしていることを教えてください。
友岡:私がよくスタッフさんたちにお願いしていたのは、「看護師免許はポケットに忍ばせて前には出さないでください」ということ。というのも、もちろん医療ケア児に介護や看護の視点は必須なんですけど、もっと普通の子育てのように遊びも取り入れて子どもらしい時間を過ごしてほしい、という当事者の親としての思いもあって。見えにくいのですが、どんなに重い障害があっても遊びを通して得ていく発達段階を持っているので、そういうところも大事にしたいな、と。
意見がぶつかってしまうこともありますが、スタッフさんたちは子どもたちの可能性を広げるために日々すごくがんばってくれていて、感謝の気持ちでいっぱいです。
くみん手帖:「もうひとつの家族として伴走したい」という思いがあふれていますね。『ohana kids』が今後目指していく姿を教えてください。
友岡:『ステーションサービス』(若林)と『ナーサリー』(船橋)のふたつの施設に加えて、新たに相談支援事業もはじめました。さらに、子どもたちが社会に出るきっかけ作りとして、『オハナ』にかけて花屋をやりたいと思い、今、原宿にある『ローランズ』という福祉に力を入れているフラワーショップと協力して下積みをしているところです。子どもたちが『ohana kids』を拠点に、それぞれのできることややり方で社会に貢献し、活躍の場所を作っていけたらいいな、と。
障害者はサポートされる側という目線で見られがちですが、弱者ではないし、そもそも弱者かどうかもわからない。彼らも自分で進む力を持っていると思うんです。私は、この子たちの未来をどこまでも信じています。
(撮影:合同会社まちとこ・壬生真理子)
友岡宏江(ともおかひろえ)
NPO法人Ohana kids代表
東京都世田谷区若林3-23-5-103
https//ohanakids-setagaya.com/