2023.08.21
連載 世田谷の小さな博物館・記念館を訪ねてみよう 第一回 代田 齋田記念館
「近くに博物館があるけど何となく入りづらい」「散歩中に見かけた記念館が気になる」。そんな方も多いのでは? 世田谷区には、あまり知られていないけれど、実は見応えがある博物館や記念館が点在しています。そこで、くみん手帖では、世田谷の小さな博物館・記念館を連載紹介していきます。 第一回は、環状七号線沿いの緑豊かな敷地内にある「齋田記念館」です。
世田谷にはたくさんの「訪れたい場所」がある。古くから愛されてきたお店や、知る人ぞ知る穴場など、地元の情報をご紹介。思い出に残る昔の世田谷から今の世田谷まで。
関東最大級の古墳、世田谷区玉川野毛町公園にある、野毛大塚古墳をご紹介します。
東急大井町線等々力駅南口より南へ徒歩10分。環八通りの野毛公園前交差点を渡った先に、世田谷区立玉川野毛町公園があります。テニスコートや野球場があり広々と気持ちの良い公園の中に、学術的に価値が高く東京都指定史跡でもある“野毛大塚古墳(のげおおつかこふん)”があります。
野毛大塚古墳は、約1,600年前(5世紀前半・古墳時代)に築造された、墳長82メートル、直径68メートル、高さが約11メートルもあります。上から見るとまるで帆立貝の形をした帆立貝形(ほたてがいがた)の関東最大級の大きな古墳です。後円部(円形の部分)は3段、前方は1段(四角い部分)でつくられ、前方部脇に方形の造出(つくりだし)部があります。畿内王権と結びつき、南武蔵で大きな力をもっていた首長(しゅちょう)の古墳と推測されています。
古墳築造には大量の土が必要で、周りの土を掘って積み上げて作られたことにより、周囲に濠(ほり)があり、野毛大塚古墳の濠は馬蹄形(ばていけい)です。今は植物が生え緑に覆われていますが、築造当時は、表面が葺石(ふきいし)で覆われ、埴輪列(はにわ)で古墳の平坦部に並んでいたことわかっています。
葺石に覆われて頑丈で銀灰色に光り、埴輪がずらりと整然と並んだ古墳は、圧巻の風格だったに違いありません。
野毛大塚古墳は、立川市から大田区まで延長約25キロメートルに及ぶ、高さ10~20メートルほどの国分寺崖線(こくぶんじがいせん)という河岸段丘の上にあります。
実際に古墳の墳頂部に登ると、被葬者の誇らしい気持ちが伝わってくるようです。当時は、眼前には多摩川が流れ、遠くには富士山を始めとする山々など、自国を一望できたことでしょう。
発掘調査では 4 基のお棺が見つかりました。これらのお棺には、鉄製の武器・武具や、銅鏡、玉類、竪櫛(たてぐし)、石製模造品などが納められていました。とくに武器・武具は、革で綴じられた甲冑(かっちゅう)(国内最古級で当時の最新式)や、鉾など多くの刀剣類(関東での副葬は最初期)、実用品・儀礼品を含む様々な形をした鏃(やじり)などが出土しています。これらの出土品は、古墳時代の中期の東日本を代表する貴重なものとして、平成28 年に国重要文化財に指定されています。また、平成 29 年には、東京国立博物館所蔵の副葬品も追加指定されました。
中でも滑石で作られた導水形(どうすいがた)の施設を再現した槽(そう)は、水を介した祭祀に関わるもので他に例がありません。また、下駄や坩(かん)、皿も珍しく、他にも斧や鎌などを模したものや、刀子形(とうすがた)が、見つかっています。一つの埋葬施設からの出土量としては、東日本で一番多く、高い学術的価値をもっているため、多くが国の重要文化財に指定されています。
古墳の墳頂部には、埋葬された様子がわかるように、副葬品の出土状況を描いた埋葬施設の原寸大タイルが設置され、お棺の大きさや配置を知ることができます。
野毛大塚古墳すぐ近く、上野毛には上野毛稲荷塚古墳(かみのげいなりづかこふん)、谷沢川沿いの等々力渓谷には等々力渓谷3号横穴墓(とどろきけいこくさんごうおうけつぼ)、その東側には御岳山古墳(みたけさんこふん)などがあり、世田谷区上野毛から尾山台はたくさんの古墳が集中している地域です。野毛大塚古墳を中心に、等々力渓谷などと併せて、多摩川を眺め、身近に古を感じ、驚きと発見にあふれる古墳めぐりはいかがでしょうか。古墳時代の人々の想いを感じ取れるかもしれません。
【地図】
この記事に関連するタグ:上野毛駅, 古墳, 多摩川, 文化・歴史・芸術, 野毛, 野毛大塚古墳
多摩川ハイウェイ
くみん手帖編集部
世田谷区在勤。ひょんなことから編集部に入りました。世田谷歴20年、新しい情報を求めて、世田谷の街や自然を日々ラブ&アドベンチャー。特に多摩川が大好きです。
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