民家の温もりをシェアする「シェア奥沢」

この日のイベント「テレサ・テン 日本とアジアをつなぐ歌の心」では、プロジェクターで映像鑑賞も楽しみました

この日のイベント「テレサ・テン 日本とアジアをつなぐ歌の心」では、プロジェクターで映像鑑賞も楽しみました

築89年の民家がシェアスペースとして甦る

人で賑わう自由が丘駅より徒歩数分。閑静な住宅地に、緑で囲まれた民家が現れます。そこが、「シェア奥沢」です。この土地を受け継いで三世代目となるオーナーの堀内正弘さんは、ここで生まれ育ち、現在も隣の母屋に暮らしています。

「祖父が亡くなってから、ここには親戚が住んでおり、その後空き家となっていました。ゴミ屋敷状態で長い間手を付けられなかったのですが、昨年、活用したいという若者が現れ、たくさんの人の協力を得て整備することができました。集合住宅にしたらとよく言われますが、多くの方々に活用していただける空間になって良かったと思います」(堀内さん)

そうして、世田谷トラストまちづくりによる事業「空き家等の地域貢献活用」のモデルに応募し、平成25年度「世田谷らしい空き家等の地域貢献活用モデル」として採用されました。この事業は、空き家等を保有するオーナーと、利用団体のマッチングに取り組み、地域コミュニティの活性化・再生を目指しています。活用事例のモデルとして「シェア奥沢」が選定されたのは、建物の活用と地域のつながり、堀内さんの広いネットワークが高く評価された結果でした。

ふだんは地域に開かれた「コワーキングスペース」として使われていますが、広めのキッチンや、50人は入れるスペースを活用し、トークイベントや音楽鑑賞会、子どもも参加できるものづくりワークショップなども開催されています。

室内から望む庭や緑に心が和みます

室内から望む庭や緑に心が和みます

イベントスペースでは、参加者約40名がワクワクした面持ちで話に聞き入っています

イベントスペースでは、参加者約40名がワクワクした面持ちで話に聞き入っています

スペースには、こだわりの音響システムを取り入れています

スペースには、こだわりの音響システムを取り入れています

“テレサ艶歌”に想いを馳せて

デビューした頃、14歳のテレサ・テン

デビューした頃、14歳のテレサ・テン

平野さんによる3拓のクイズに、参加者の皆さんも楽しんで答えます

平野さんによる3拓のクイズに、参加者の皆さんも楽しんで答えます

時を越えて愛され続ける歌姫の映像に、思わず釘付けになってしまいます

時を越えて愛され続ける歌姫の映像に、思わず釘付けになってしまいます

この日は、「シェア奥沢」の4軒隣りが実家だったという、ノンフィクション作家・平野久美子さんを招いて、「テレサ・テン 日本とアジアをつなぐ歌の心」が開催されました。『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(晶文社)の著者としても知られる平野さんは、テレサ・テンに2度のロングインタビューを敢行したジャーナリストです。同時に台湾やアジアに造詣が深いため、当時の中国と台湾の歴史的な視点を交えながら、テレサ・テンの生い立ちや人生を振り返るトークショーとなりました。

途中、楽曲を聴いたり、若きテレサ・テンの愛くるしい写真や、お手本のようにきれいな発音の北京語で歌うプロモーション映像を見ているうちに、参加者はどんどんとアジアの歌姫の魅力に引き込まれていきます。

「テレサの素晴らしいところは、まずとてもきれいでクリアな高音です。加えて、北京語でも日本語でも英語でも、発音がきれい。音感が非常に優れていたんですね。それから、聴く人に語りかけてくる歌。そして、人柄です。偉ぶったところがまるでない、かわいらしい人でした」(平野さん)

「演歌でもマイケル・ジャクソンの歌でも、どんな曲も艶のある歌にできる歌手」と平野さんが言うように、その歌声は“テレサ艶歌”と呼ばれ、アジア中を虜にしました。

アフターでも心ゆくまで交流を

約2時間のトークショーがあっという間に終了し、テレサ・テンの澄んだ歌声の余韻を残しながらイベントはそのまま交流会へ。フードコーディネーターがこの日のために作った、台湾の家庭料理の香ばしい香りが食欲をそそります。皆で乾杯し、美味しい料理を味わいながら、交流が深まっていく様子。参加者同士にも、新たな繋がりが生まれます。

「いわゆる公共の場所では、ゆっくり温まることができないけど、ここはイベントのアフターで交流ができます。布団もあるので、終電を逃しても大丈夫ですよ」(堀内さん)

「シェア奥沢」では、同じ関心をもった人々が集まることで、空間だけでなく温かいコミュニケーションも“シェア”されています。地域に貢献する、広い可能性を秘めたシェアスペースです。

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「空き家等地域貢献活用」相談窓口はこちら。
TEL:03-6407-3313(9:00〜17:00)
>> http://share-okusawa.jp

自由な雰囲気の交流会では、参加者同士の交流が生まれています

自由な雰囲気の交流会では、参加者同士の交流が生まれています

台湾の家庭料理がふるまわれた交流会。食欲をそそる香りです

台湾の家庭料理がふるまわれた交流会。食欲をそそる香りです

ごみはどこへ行くの?世田谷区のごみ事情

砧公園から見える、世田谷清掃工場の煙突

砧公園から見える、世田谷清掃工場の煙突

世田谷区のごみってどこへ向かうの?

世田谷区の可燃ごみは、世田谷清掃工場と千歳清掃工場に運ばれて、800度以上の高温で燃やされます。燃やすと大きさは1/20ほどになりますが、世田谷清掃工場では、できた焼却灰をさらに溶融し、スラグという砂のようなものにして、その一部はコンクリートやアスファルトなどの土木資材として活用されています。しかしながら、生成されたスラグは必ずしもすべて土木資材とはならず、余ったものは東京湾の埋め立て処分場に運ばれます。

一方、不燃ごみはそのまま処分すると容積が大きいため、東京湾近くにある2ヵ所の不燃ごみ処理センター(中坊不燃ごみ処理センター、京浜島不燃ごみ処理センター)に運ばれ、中間処理と呼ばれる破砕をして容積を減らす工程と鉄とアルミニウムを取り出す工程を経たのち、やはり東京湾の埋め立て処分場に運ばれます。

そして最後に粗大ごみ。東京湾の近くにある粗大ごみ破砕処理施設に運ばれると、木でできた家具などの可燃系と自転車などの不燃系に選別されてから、破砕され、不燃ごみと同じように鉄を取り出して、最終的には可燃系は燃やして、不燃系は東京湾の埋め立て処分場に向かいます。

ごみの分別が始まり、ペットボトルやかん・びんなどの回収が別になるなど、ごみ収集も進化をしている

ごみの分別が始まり、ペットボトルやかん・びんなどの回収が別になるなど、ごみ収集も進化をしている

最終的に運ばれる、埋立処分場

最終的に運ばれる、埋立処分場

このように、最終的には東京湾に埋め立てられているのですが、可燃ごみは焼却灰のスラグ化技術が導入されたことで容積が大幅に減少。現在埋め立てられているのは、不燃ごみと粗大ごみが中心となっているのです。

「夢の島」は、昔の話!?

東京湾の埋め立て処分場というと、夢の島をイメージする人が少なくないかもしれません。じつは、夢の島でのごみの埋め立ては今から40年以上も前の1967年に終了しているのだとか。

埋め立て処分場は、東京湾の沖へ沖へとどんどん進出し、現在はお台場から南に向かい、海底トンネルを超えた方面にある「新海面処分場」へ運ばれていますが、ここは東京湾の中で埋め立て可能な最後の区画となっていて、東京23区のごみから計算すると、あと50年しかもたないことが分かっています。

昭和48年当時の新・夢の島

昭和48年当時の新・夢の島

それならば、湾の外へさらに区画を広げればいいのでは、と考えるかもしれませんが、東京港湾区域の外は東京都の権限が及ばず、東京港は大型船舶が毎日行き来する貿易港でもあるので、航路を狭くするわけにもいかないと、処分場としての寿命が迫っているのです。

「捨てない」という選択肢を考える

世田谷区では、ごみの減量について様々な取り組みを重ねていますが、そのひとつがごみ減量・リサイクルの普及・啓発のための施設運営です。

例えば「エコプラザ用賀」では、まだ十分に使用できるものがごみとして捨てられている現状を伝え、ものを大切にする意識の工場と、リデュース・リユースの大切さを啓発することを目的に、粗大ごみのうち、まだ使用できる家具などのリユース品の展示・提供を行っています。

「リサイクル千歳台」では、ごみ減量やリサイクルに関する活動を行っている団体やグループの活動の場となり、講座や講習会の開催も。

ほかにも世田谷区では、平成25年よりCO2排出量の少ない、環境にやさしいごみ収集車を導入していますが、今取り組むべきは、行政側ではなく、ごみを捨てるひとりひとりに託されているような気がします。

ごみ処理施設や処分場は、見学会が定期的に実施されているので、毎日の暮らしのなかで捨てたごみが最終的にどこに行き着くのか、一度自分の目で確かめてみるのもいいかもしれません。