お母さんもほっとひと息、子どもとのんびり過ごせる一軒家

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子どもがのびのび遊べる場

「おでかけひろば@あみーご」(以下「@あみーご」)は、世田谷のまちづくり支援団体「一般財団法人世田谷まちづくりトラスト」が行っている「地域共生のいえ」という事業の一環で運営されている施設(サービス)です。自宅の一部を子育て世代に役立てたいと申し出たオーナーの安原美代子さんの思いを、任意団体である子育て支援グループ「amigo」が受け止め、世田谷区の補助を得て運営しています。

庭を望む20畳ほどのリビングを中心に、グランドピアノの部屋、キッチン、そして奥にはお母さんや赤ちゃんが横になれるようソファベッドが用意された小部屋も。トイレにはシャワーもついていて、外遊びで汚れてもOK。小さな子どもと安心して過ごせる細やかな配慮が、まるで親戚の家に遊びに来たかのようです。0~3歳の子どもたちが、水遊びをしたり、ピアノを弾いたりと、自由にのびのびと過ごし、親たちはくつろぎながらその姿を見守っています。

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一人の「おばあちゃん」が提供した住まいの一部から

運営団体「amigo」代表の石山恭子さんは、「@あみーご」のテーマは「放牧」だと話します。
「少し前の社会では子どもたちは地域社会という牧場で放牧されるように、みんなに見守られて自由に遊び回って育ってきました。今の育児の最大の困難は、この放牧場がなくなったことだと思うのです。そこでこの言葉をキーワードにしようと思いました」。

現在ここは、訪れる人みんなで子どもたちを見守る場所。「家で自分の子どもと1対1だと疲れるけど、ここではいろんなお母さんが子どもの相手をしてくれる」、「首のすわらない赤ちゃんを抱っこすると、自分の子もこんな時があったなぁと懐かしくなる」とお母さんたちが話すように、子どもだけではなく大人にとっても大切な空間となっています。自分の子どもと少し距離を置くことで新鮮な気持ちで子育てに向き合えているのかもしれません。

昨年の2月まで隣の居住スペースには、オーナーの安原美代子さんが生活していました。時々リビングや庭に顔を出しては、来場者と会話を楽しんでいたそうです。季節に合わせてお手製のちらし寿司やおはぎを差し入れてくれたり、ピアノや笛を吹いたりと、まさにみんなの「おばあちゃん」。住まいの大半のスペースを提供したのも、自身のつらい子育て時代の経験からだったそう。昨年他界された後も、ご家族の好意で今までと変わらない空間であり続けています。

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運営しているのも子育て中の方々

運営団体「amigo」のスタッフも、現在子育て中の方ばかり。赤ちゃんの便秘の相談から、子どもを乗せる自転車の情報まで、インターネットでは得られない情報を直接提供しています。「自分たちが必要だと思ったことを提供することで、お母さん達に安心感を感じてもらえている」という石山さんの言葉どおり、利用者のお母さんたちと同じ目線でつかず離れずの関係を築いています。

一日の来場者は多いときで20組を超え、近所の人はもちろん、自転車や電車で訪れる人も。「ママ友と約束して来るというよりは、あみーごに行けば誰かいるし、知り合いがいなくても楽しめる」と常連のお母さん。「とにかくゆっくりくつろげる」と話します。この日も珈琲を飲んだり、本を読んだり、うたた寝したりと、みんなで輪になってお喋りというよりは、思い思いに1人時間を楽しむお母さんたちの姿が。「ほかの子育てひろばやサロンにも行ったけれどやっぱりここの雰囲気が好き」とリピーターになる利用者が多いことから、ここの居心地の良さがうかがえます。

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イベントや自主的な活動も

「@あみーご」では、様々なイベントや講座も行われています。流しそうめんやスイカ割り、クリスマス会などの季節の行事から、おんぶ紐の試着会や子どもの歯の講座、幼稚園情報交換会といった、疑問や不安に答える講座まで多彩です。毎月一度行われている土曜日のイベントは、育休復帰したお母さんや、普段育児に関わる機会の少ないお父さんで賑わいます。

利用者の自主的な集まりも発足され、「お庭に緑を植えたいね」という人が集まれば『園芸部』、「子ども服を作りたい」という人が集まれば『家庭科部』と自然と輪が広がっています。元美容師のお母さんが『子どものヘアカット講座』を開いたりなど、得意なお母さんが中心となって、イベントを企画することもあるそうです。子育てから少し解放されて、「何かをやりたい!」という気持ちになるのでしょうか。一緒に「居心地のいい場」を作り上げていこうという、気持ちが伝わってきます。

「初めて来場されたときは、所在なさそうにされる方もありますが、回数を重ねるうちにその親子らしい過ごし方を見つけ、お母さんの個性もお子さんの個性も見えてきます」と石山さん。スタッフが特別何かをしてくれるわけではない、過ごし方のルールがあるわけでもない、自由気ままな空間。家で子どもと過ごすのに疲れたら、まずはふらっと「@あみーご」に出かけてみては?

(撮影・文 まちとこ出版社 壬生マリコ)

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下町風情の残る経堂の阿波踊り集団「経堂むらさき連」とは

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商店街が母体の連。一番の目的は地域おこし

平日の仕事帰りに、経堂農大通り商店街の事務所に集まって下さった3人は、経堂むらさき連連長で笛担当の秋山謙太さん(写真中央)、副連長で大胴(大太鼓)担当の清水祐輔さん(写真右)、同じく副連長で女踊り担当の田島聖子さん(写真左)。皆、経堂農大通り商店街で生まれ育った、幼なじみです。

それぞれのご両親が若かりし昭和48年、商店街の活性化のためにむらさき連は結成されました。それ以前も、商店街主催で盆踊りや映写会などを行っていましたが、下高井戸と下北沢で道路を舞台に開催されていた阿波踊りに感化され、すぐに経堂でも開催しようと動き出したのがむらさき連の始まりと3人は語ります。

「むらさき連の一番の特徴は商店街が母体ということですね。商店街の活性化が一番の目的ですから、商店街のセールや経堂まつりが主な舞台ですし、他に出向いていっても商店街の名を汚してはいけないですから」(田島)

多くの連では会費を納めて連に加入し、それを運営にあてていますが、むらさき連への参加は無料。そのかわり、連員達も皆ボランティアで、子どもたちや初参加の人たちへの指導や運営を続けています。

結成から40年、当初は20名ほどの商店街関係者で構成されていたメンバーは今や350人にも増えて大所帯に。特に幼稚園の年長さんから中学生までの子どもが250名余りを占めるようになっています。お祭りでのかっこいい姿を見て加入者が後を経たないのです。とはいえ、最年長の小林さんは結成当初から今も現役で踊り続けていて、幅広い世代の人が参加しているというのもむらさき連の特徴。中心になっている20代30代のメンバーへの世代交代が数年前にあり、むらさき連のタスキは順調に引き継がれています。

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コミュニティをかたちづくる“阿波踊り好き”の結束力

むらさき連の練習は、例年5月になると始まります。練習日は、毎週土曜日。まずは17時から18時まで、福昌寺の境内で年長さんから中学生までの子どもの練習があり、大人は19時から21時まで桜丘小学校で練習を行います。練習が終わると大人は十数人連れ立って飲み会へ。体を動かした後のビールはさぞやおいしいだろうと想像できますが、飲み会の楽しみはそれ以外にもあるようです。

「僕は介護職についていますが、医者、アパレル関係、IT系、学生など、いろんな仕事いろんな世代の人が集まっているのがおもしろいですよね。共通点は“阿波踊りが好き”ってことくらいだから、阿波の話かバカ話をしているかなんですけど(笑)」(秋山)

田島さんも「大学生と恋愛の話をしたりもしますよ。自分が学生のとき、30代の人とじっくり話す機会なんてあまりなかったと思う。連を通して知り合うと、年齢の上下の差を感じずに自然と話も弾みます」といいます。清水さんの「夏祭りのシーズンにしか会わない人もいるし、ただの友達とも違う。でもすごく結束力はあるし、同士というのかな、“阿波友”ですかね」との言葉に皆がうなずきます。

今は商店街の枠を飛び出し、経堂周辺のさまざまな人たちが参加するようになったむらさき連ですが、顔の見える関係が続く経堂農大通り商店街の良さを活かしつつ、新しいコミュニティをかたちづくっているようです。

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踊る阿呆に見る阿呆。さまざまな世代が楽しみ踊る

お話をうかがった3人も実は連を離れた時期があるそうですが、20代後半に差し掛かり、連に戻ってきたという歴史あり。「私がもう一度連に入ろうかなと思えたのも、妹の友だちがずっと連にいたから。むらさき連は、私を受け入れてくれる存在だった」と田島さんはいいます。「今は経堂に住んでいなくても、阿波踊りのシーズンには練習に通ってくる元住人もいます。かと思えば今年新たに50代の女性が仲間に入りました」(清水)。むらさき連は、いつでも帰ってこられる場所として、経堂をふるさとに持つ人たちをつなげ、また新しい住人も呼び込む役目をも、担っているのかもしれません。

「祭りシーズンは毎週のようにどこかで踊っている」というむらさき連のみなさん。最近は、むらさき連目当てに祭りに足を運ぶ人も、増えているそうです。「プロの連に負けないように、ファンをもっと増やしていきたい」と皆さん。

「踊る阿呆に見る阿呆というように、みんなが一体になれるのが阿波踊りのいいところ。和太鼓や笛の生音を間近で聴くことができるのも魅力です。体に響く音に、みんな血が騒ぐと思いますよ」(清水)

さまざまな世代が楽しんで踊る姿を見ることができる、むらさき連の阿波踊り。この時期にしか味わえない一体感を味わいに、“見る阿呆”になりに出かけてみてはいかがでしょうか。

【むらさき連出演予定】
8月3日 せたがやふるさと区民まつり
8月4日 東林間阿波踊り
8月10日 下北沢一番街阿波おどり
8月25日 東京高円寺阿波おどり

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[ 7月の特集 世田谷の夏のお祭り ]

地域を繋ぐコミュニティ酒場。経堂さばのゆ 須田泰成さん

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きっかけは、植草甚一さんのエッセイから

いまから25年前の1988年。かつて渋谷の公園通りにあった大盛堂書店の2階で、須田青年は、植草甚一さんの本に出会い、衝撃を受けました。植草さんといえば、ジャズ、映画、ヒッピー文化など、日本にサブカルチャーを紹介した有名なエッセイスト。あるとき須田青年は、植草さんの本で「経堂」という町を初めて知ることになります。生前、植草さんは経堂に住んでいたのでした。

須田「経堂の駅を降りると魚屋さんの威勢のいい声が聞こえてきて、八百屋があって、まるでサザエさんに出てきそうな商店街でした。実際に住んでみると、植草さんが書いているとおり、古本屋もあって、中古レコード屋もあるし、個人のお店が多くていい町だなと思って。それで経堂に引っ越してきたんです」

その後、母親の病気をきっかけに実家のある大阪を拠点に働きはじめ、映像、広告業界で修行して、ロンドンへ留学。97年、日本へ戻ってくることになりました。

須田「東京に戻るなら、あの町に住もうと、97年に経堂に越してきました。それ以来、ずっと経堂に住んでいます。もともと、個人で経営しているお店に通うのが好きだったんですが、隣にいる人がたまたまプロの棋士だったり、陶芸家だったり、普段なかなか出会えない人たちとの出会いが楽しくて、どんどん経堂での店通いにはまっていったんです」

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商店街を守るためにできること

2000年代に入って、全国的に商店街の勢いがなくなった。ある時、馴染みの商店の変化に気がついたという須田さん。個人経営の店は景気の浮き沈みがダイレクトに影響します。

須田「『経営が苦しい』と行きつけのラーメン店の店主がぼやいていたんです。500円のラーメンより安いラーメンを出すお店が近くに登場し、そっちに人が流れてしまった。『からから亭』という名前のラーメン屋だったんですが『がらがら亭』になっちゃったよと(笑)。この店がなくなったら困ると思い、もっと広く知ってもらうために、そのお店のホームページを作ったんです」

さらに、須田さんは人が集まるイベントも開催しようと、毎週月曜日に「からから亭」に集まる立ち飲みバルイベントを企画。新しいお客も取り込み、3年間で150回も開催する大盛況のイベントとなりました。それをきっかけに、ほかの店とも交流が生まれ、もっと経堂を盛り上げようと、「経堂系ドットコム」というホームページを立ち上げます。

須田「経堂って、世田谷のなかでも下町なんです。商店街もたくさんあって、お店同士の横のつながりがすごい。自分のお店の定休日にほかのお店に行ったりと、交流がさかんだから、情報が早いし、『うちも載っけてよ』と、いつのまにかどんどん輪が広がっていきましたね」

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経堂の救世主は、なんと「さば缶」!?

2007年、ご当地グルメで町おこしをしようと日本各地で始まった動きを受けて、経堂でもなにかないかと考えたのが「さば缶」でした。ある居酒屋のまかないメニューとして出した「さば缶ネギバター醤油」が評判になり、経堂にある13店舗を巻き込み、「さば缶」フェアを展開。メディアでも取り上げられ、近隣にお住まいの俳優・西郷輝彦さんも「我が青春の味」とテレビで絶賛するほどまでに。

この「さば缶」ブームをきっかけに、街の相談を受けることが増えたという須田さん。
「17年経堂に住んで、毎日どこかで飲んでいて、そこで知り合った人から相談されることが多くなりました。そこでイベントやネットで情報を発信して、新たなお客さんを獲得するためのアイデアを本格的に考えるようになっていったんです」

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経堂と地方をつなぐ「さばのゆ」

“飲みニュケーション”を通して知り合った人々とのつながりで、須田さんはコミュニティプロデューサーとして、経堂だけじゃなく、さまざまな地域とつながっていくことになります。2009年、経堂でコミュニティスペース「さばの湯」をスタートさせることになりました。

須田「銭湯って、かつてはどの地域にもあって、人が集まって触れ合う場所でした。コミュニティのハブになる、人が集まる場所を僕も作りたかった。だから店をやるなら『~ゆ』という名前をつけたかったんです」

須田さんが築き上げてきた関係は、経堂という町を軽々と飛び越え、新潟、高知、青森、奈良など、全国に広がっていきます。そのひとつが、2011年3月の東日本大震災で、社屋や工場も流され壊滅的な被害を受けた、宮城県石巻市にある「木の屋石巻水産」です。震災前から「さば缶」で交流のあった須田さんは、震災後すぐ、がれきの中から、泥や油にまみれた缶詰を掘り起こしてきれいに洗い、その缶詰を経堂の飲食店で使ってもらったり、販売したりして、その売り上げを全額義援金にする活動を始めました。多くの義援金が集まり、この運動は「希望の缶詰」と呼ばれ、須田さんが絵本「きぼうのかんづめ」として一冊にまとめました。メディアにも大きく取り上げられたこのプロジェクトも、もともとはお世話になった人を助けたいと、個人的な思いから始まったこと。それはまさに、須田さんがずっと経堂でやってきたことと同じでした。

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須田さんがひたすら店に通い、時間をかけてだんだんと顔なじみになり、そうして築き上げた店主や常連さんたちとの関係は、経堂という町だからこそ生まれたもの。「さばのゆ」をはじめ、活気のある商店を見ていると、人の営みが息づく町だとつくづく感じます。町があるから人が集まるのではなく、人が集まるから町が生まれる。須田さんと話をしていると知らず知らずのうちに引き込まれていく。そんな“求心力”を感じました。

文化もユニバーサル化へ、世田谷パブリックシアターの出張公演

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いつものホールが別世界に

この日やってきたのは、上北沢ホーム/デイ・ホーム上北沢という、入居している方と、日帰りのデイサービスを受けている方の両方がいらっしゃる施設。1日に平均45名のデイサービス利用者がいる施設で、世田谷区では2、3番目に大きな規模のホームです。

この日公演の舞台となったのは、一階のレクリエーションホール。会場までゆっくりと歩いてくる方、車椅子に乗っていらっしゃる方さまざまですが、続々とお年寄りが集まり、60名ほどの観客がホールに並びました。
公演が始まるまでの間、前座は職員の方が務めます。「最近は雨が多いんだか少ないんだかよく分からない天気ですけれども…」と始まり、芸達者な話術でお年寄りたちの関心をひきます。

そしていよいよ「@ホーム公演」の新作、『きみといつまでも〜わたしのお父さんはロボットです〜』(ノゾエ征爾さん脚本/演出/出演)が開幕します。この作品のストーリーは「森に住む女の子とロボットお父さんのちょっと変わった親子と、ふたりをとりまく青年と動物がおりなす、ドタバタ人情物語!(資料より)」というもの。しかし大掛かりな舞台セットはなく、観客の前に置かれているのは黒板だけです。開演前は、状況がよく飲み込めず、ポカンとしている方も目に付きましたが、その不安はすぐに吹き飛ぶことになりました。

上演に施された工夫の数々

というのも「@ホーム公演」では、お年寄り向けにさまざまな工夫がされています。まず劇の始まりには、皆の顔見知りである職員さんが前座を務めた後、扮装して出演し、場を和ませます。その後登場した4人は全員がプロ。出番になると自己紹介し、役名を黒板に大きく書きます。滑舌(かつぜつ)のいい話し方、平易な言葉づかい、そして黒板を使った文字の補助など、耳が不自由な方や理解に時間のかかる方に配慮ある演出のお陰でぐっと観客が前のめりになったのを感じました。

ほかにも、世界的なパントマイミスト山本光洋さんによる、見事なロボットの動きや、「三百六十五歩のマーチ」「君といつまでも」をはじめとする懐メロに、観客はみるみる惹き込まれていきました。舞台セットの黒板も、役者が隠れる場になったり、人形劇の舞台になったりと大活躍。また、お年寄りがパントマイムに一部参加するような仕掛けも、会場を沸かせます。随所にこれでもかと引き込まれる要素がてんこもり。しかも演じるのは、世田谷パブリックシアターほか各地で活躍するプロの演出家や俳優たちです。ストーリーや演技のクオリティを保ちつつも、直観的でわかりやすい、すばらしい舞台をつくりあげていました。

プロの演技に顔がほころぶお年寄り

始まる前は「何を言っているのか分からない」と不安がっていたおばあさんも、始まってみるとケラケラ笑っていたり、微動だにせずじっと見入っていた方が、「朧月夜」が流れた瞬間に、はっきりと美しい声で口ずさんだり。皆うんうん頷きながら体を揺らし、さまざまに楽しんでいました。「君といつまでも」は全員で大合唱となり、最後には涙を流す人もあちこちに見られました。「来てもらってありがたかった」「本当にかわいかったねぇ」「飽きさせないからすごい」と、客席のあちこちからの感謝の声とともに、30分の夢の時間は終わりました。

アウトリーチ演劇の意義

観劇を終え、この4月から上北沢ホームの施設長を務める、木谷哲三さんにお話をうかがうことができました。木谷さんは、以前は世田谷パブリックシアターも管轄する世田谷文化生活情報センターの副館長で、平成22年から始まった第一弾「@ホーム公演」を実現させた立役者の一人でもあり、今回のような公演の意味を当事者として実感されている方です。

木谷「もともと世田谷パブリックシアターでは、劇場を飛び出して芸術を生活の中に取り入れるような活動を目指してきました。しかし、施設に入所されているようなお年寄りには、なかなか演劇を届けることができませんでした。一方で、世田谷パブリックシアターにとって、若手演出家の育成事業も大事な役割です。そこがマッチしたのが、当時まだ新人だったノゾエ征爾さんが新作をつくり、老人ホームを巡回するという試みでした」

前作の『チャチャチャのチャーリー〜たとえば、恋をした人形の物語〜』は、3年かけてのべ30施設で公演、1800人の方々が鑑賞したといいます。この日こけら落としだった新作も、重度障がい者施設を含め、名乗りを挙げた世田谷区内11ヵ所の施設を、2週間かけて回ります。

木谷「介護の現場にも、本物を提供すること、そしてそれが《演劇》である点もポイントです。芝居は、意図的に感情を増幅させて表現しますよね。それがいいんです。普段あまり笑わない認知症の方が大笑いしたり、落ちつきのない方が集中して観劇したり、いつもと違う表情が引き出される。演劇には、セラピーとしての可能性もあるのだと実感しています」

もちろん、お年寄りの方々だけでなく、演出家、俳優をはじめとしたスタッフにとっても、この巡回公演はいい経験です。「観客と一緒にいい舞台ができる」といわれる演劇の現場。閉じた蓋が開くように感情を表に出して観劇するお年寄りの方々とつくる舞台は、格別な喜びがあるそうです。

木谷「@ホーム公演であっても、世田谷パブリックシアターでやる演劇と、何ら変わりない手順で作品づくりをしていますよ。スタッフもみなプロです。文化もユニバーサルデザインの時代。本物を、今まで届きにくかった人の元へきちんと届けることが大事な時代になってきています」

木谷さんがいうように、日常生活の中に潤いを与える芸術の楽しみは、日常生活が困難なところにこそ、必要とされています。今のところ、東京都内で「@ホーム公演」のような取組みをしている区は、他にありません。世田谷パブリックシアターが贈る夢いっぱいの演劇は、施設にいる方々を楽しませることはもちろん、福祉の文化化、文化のユニバーサル化、両方の課題に応える手法として、今後さらに重要な役割を担っていくのではないでしょうか。

(撮影:庄司直人 )

世田谷パブリックシアター@ホーム公演
『きみといつまでも ~私のお父さんはロボットです~』
脚本/演出=ノゾエ征爾
出演=山本光洋、たにぐちいくこ、井本洋平、ノゾエ征爾