知っている人がいるだけで、思い入れが変わる
まずは、昨年に続き二度目の出展となる、酒井硝子(ガラス)道具店の酒井由弥(ゆや)さん。普段は京都の京丹波町のガラス工房で働いており、酒井さんの清涼感あふれる器やコップの品々はどれも素敵です。
初めは、このお祭りに出るのをためらったことを話してくれました。
「地域のお祭りは、よそ者が入るよりも地元の方たちで盛り上げる方がよいのではと思ったんです。でも、手作りの器を使ってほしいという思いを伝えることに、地元かどうかはこだわるところではない、と世田谷代田の皆さんが気付かせてくださったんです。実際参加してみて、ものこと祭りに流れる空気、グルーヴ感みたいなものに刺激を受けました」(酒井さん)
昨年は、商店街の下駄屋さんだったお店を借りて作品を展示しました。下駄屋の奥さん、鈴木さんは、初めはじっと背後から見守っていたそうですが、そこは元接客業のプロ。黙っていられなくなって酒井さんとお客さんとの会話に加わり、最後にはすっかり楽しまれていたのだそう。あれこれと差し入れをしてくれて、終日お腹が減らなかったと酒井さんは笑います。
「このお祭りに出たことで知り会いが増えました。まだ第二の故郷とまではいきませんが、知っている人がいるだけで、その場所への思い入れができます。その関係はすごくあたたかいもの。自分が移動することで、普段暮らしている場所の良さに気付いたりもします」(酒井さん)
(ページ一番上とこの段落1枚目の写真:Photo by Koji Suga)
地域の活動を広げる場として
次にお話を伺ったのは「ナミイタ・ラボ」(波板研究所)の方々。石巻市雄勝町波板から来られたという青木甚一郎さんが、この活動の背景を教えてくださいました。
「うちの波板(なみいた)集落は21世帯しかない小さな集落でした。震災で4軒を残してすべて流され、今は各戸バラバラの仮説住宅に住んでいます。残された人々はほとんどが高齢者で、最期まで波板で暮らしたいという人が多かった。そこで皆で近くの高台に集団移転できるようにと計画が進められましたが、あまりに時間がかかって、集団移転を希望していた12世帯が7世帯にまで減ってしまったのです」(青木さん)
震災以前から限界集落として地域づくりを進めていた波板ですが、改めて行政に頼るのではなく、大学やNPOと共に地元の方々が、自分たちで小さな行政区を始めようとする動きが進みました。そのひとつが、コミュニティ施設の計画です。
「今別々の場所に住んでいる地元の人たちが、遊びにきて集まれる場所が必要だったんです。また、外部からの支援者が寝泊まりできるようにということもあり、さっそく設計が始まっています」
さらに震災以後、新しく東北大学の有志の教員と東京のデザイナー、地元住民が始めたのが「ナミイタ・ラボ」の活動です。ナミイタ・ラボでは、波板集落の価値を捉え直し、地元の畑や海で採れる食材、石や木、生活の知恵といった資源を活かしたワークショップなどの活動を計画中。
今回は初の情報発信の場として、このお祭りに参加しました。集落の山で採石される「波板石」を使ったワークショップは子どもたちに人気で、持参した地元の産物もすべて完売。
「今日はお客さんにもたくさん来てもらえて、本当に来て良かった」と青木さん。
まずは雄勝町のことをひとりでも多くの人に知ってほしいというのが、ナミイタ・ラボの願いです。今回はその活動の大きな前進となりました。
(上1枚目の写真:Photo by Koji Suga)
世田谷代田を自分たちの田舎に
そして最後に、ものこと祭りの目玉企画でもある“流しじゅんさい”を行う秋田県三種町の三浦基英さんに伺います。三種町はじゅんさいの産地で、地元でも、流しそうめんならぬ“流しじゅんさい”を行ってきたのだとか。昨年このお祭りに参加する前は、どんなお祭りなのか皆目見当がつかず、まずはとにかく行ってみようという気持ちで訪れました。
「来てみたら、竹でつくられた流し台をはじめ、木に囲まれた境内の会場など、すごく雰囲気がいいなと思ったんです。地元ではアクリル製を使っていましたから、このようなあたたかみのある雰囲気は出せていなかった。ものづくりする人たちが丁寧につくっているお祭りだなと感じました」
じゅんさいも産業としては厳しい状況にあります。それがこうして都心へ持ってくれば喜んでもらえるし、知ってもらうきっかけにもなります。
この日も、流しじゅんさいが始まると、大勢の人が集まり、箸でつかむのに苦戦しながらも美味しいと大評判でした。
「南さんが、世田谷代田を自分や自分たちの子どもの田舎にしたいと話しているのを聞いて、それなら任せろと思ったんです。田舎的なことなら、俺たちは得意だよと(笑)。このじゅんさいもその一つです。そのうち秋田へも、第二のふるさととして来てもらえたら嬉しいですし」
このお祭りに参加した子どもたちにとって、“流しじゅんさい”は、三種町の子らと同じように、自分が生まれ育った場所、地元の記憶として刻まれるのかもしれません。
こんな風に、「ものこと祭り」は都会と地方のつながりをつくるきっかけにもなっている模様。都会で暮らす私たちにとって、自然や食べ物などのホンモノが数多ある地方とのつながりは、“生きることのリアル”を感じさせてくれる窓でもあります。
もっと気軽に、都会と田舎を行ったり来たりできるようになれば、両者にとって新しい世界が広がるのかもしれません。
(上2枚目の写真:Photo by Koji Suga)