商店街のいまを伝える、祖師谷みなみ商店街フリーマガジン

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仮想店主「みなみさん」が、祖師谷みなみ商店街を案内

フリーマガジン「みなみマガジン」は、2012年12月に創刊して、次が3号目。祖師谷みなみ商店街振興組合に加盟する店舗が掲載された地図と、店舗の情報、周辺の地域情報などが掲載されています。

このフリーマガジンの発行は、「ココキヌタ」というフリーマガジンを創刊するココキヌタ編集部の活動を、祖師谷みなみ商店街の我部山さんが目にとめてくれたのがきっかけだったと、ココキヌタ編集部の田中久貴さんは言います。

「広告出稿にこだわらず、半ば自腹で発行している『ココキヌタ』の活動を、見ていてくださったんですね。商店街が雑誌づくりのバックアップをしてくれ、年2回の『みなみマガジン』を発行することになりました。ふだん商店街を利用していても、入りにくいお店や、気づいていない商店街の魅力ってまだまだあると思うんです」(田中さん)

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そんな「みなみマガジン」は、仮想店主の「みなみさん」が毎号表紙を飾ります。デザイナーの川口茉莉香さんは、みなみさんにはプロフィールがあると説明してくれました。

「商店街の店主っぽい頑固さがありつつ、繊細な一面も持っているという設定で。生まれも育ちも砧で、酒屋『みなみ屋』を支える2代目なんです(笑)」(川口さん)

最新号がリニューアルされ、誌面がさらに充実

第1号、第2号では、祖師谷みなみ商店街の店舗紹介をしてきましたが、10月に発行される第3号は、夕方からでも楽しめるおしゃれなバーやカフェ、レストランを「アフター5特集」として紹介する予定です。

「商店街にある個人商店、特に夜に回転するバーなどは、入りにくい印象を持たれがちです。そういったお店を開拓できるようにと、今まで入りにくかったおしゃれな飲食店を、特集として提案したいと考えています」(田中さん)

今、第3号は編集の真っ最中。ちょうどこれから取材をするという、イタリアンレストラン「オステリア エジリオサーラ」の取材に同行しました。同店は、イタリア・ピエモンテで修行をしたシェフが腕をふるう、本格的なイタリア料理が味わえると人気。料理に合うイタリアワインの種類も豊富に揃います。

「このイタリア料理店の店主さんもそうですが、どの店主さんもみんな、人情味溢れているんです。この商店街に取材で足を運ぶうちに、その温かみに惹かれるようになりました」(川口さん)

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「オステリア エジリオサーラ」の気さくな店員さんが、「『みなみマガジン』はみんな持って帰るんだよね、すぐになくなっちゃうんだよ」と言うと、「では次回は多めに持ってきます!」と川口さん。

また、ウルトラマンを生んだ円谷プロダクションが砧にあることから、祖師谷みなみ商店街は、祖師ケ谷大蔵駅を囲むほかの2つの商店街、祖師谷商店街振興組合、昇進会と合わせて、「ウルトラマン商店街」と呼ばれています。

「祖師谷みなみ商店街の終点に、日大があることから、まちづくりの会や商店街のお祭りは、地域づくり、まちづくりに興味のある日大の学生さんがよく参加してくれるんです。みなみマガジンの編集も、学生さんがインターンとして参加してくれています」(田中さん)

祖師谷みなみ商店街の変わらない魅力を伝えたい

祖師谷みなみ商店街のフリーマガジンを始めたのは、小田急線の高架化にともなって駅もあたらしくなり、商店街の店舗も常に入れ替わりがあるなか、ローカルな店主とこの街に暮らす人とのコミュニケーションや、下町のような変わらない魅力を伝えたかったから、と田中さんは言います。

「じつは、私の実家が祖師谷にあるんですが、祖師谷の魅力は、人の雰囲気が変わらないところにあると思うんです。そうした魅力を伝えるには、フリーマガジンがいいと思いました」(田中さん)

情報収集の中心がインターネットとなった今、フリーマガジンを発行しても本当に手に取ってもらえるのかという不安もあったのだそう。それでも、主婦の方の情報源は、お子さんが通う小・中学校の“ママ友”の会話や、商店街の店主との会話にある。だからこそ、家事の隙間時間などにも気軽に読めるメディアは魅力的なんじゃないかと確信を持ったのだとか。

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「別の議論をすれば、商店主はもっとビジネスマン的になるべきだし、ビジネスマンはもっと商店主的になるべきだと考えているんです。私は、平日はビジネスマンですが、土日はこの祖師谷という地元で、その良さを伝えることに尽くしてみたいと思っています。最終的には、この商店街に関わるいろんな人が、個性や専門性を活かして、『商店主だけのものではない商店街にしていく』ことが目標。ちょっと大きな目標ですけどね(笑)」(田中さん)

欧米でいうところの教会のように、職場と家庭とも違うサードプレイスとしてこの商店街がさらに愛されるよう、その最初の一歩として商店街の魅力を発信していくこと。

田中さん、川口さんをはじめとするココキヌタ編集部は、情に厚く頼りになる店主たちのつくり出す魅力に触れながら、フリーマガジン「みなみマガジン」の編集に奔走しています。「みなみマガジン」は、祖師谷みなみ商店街の各店舗や、周辺大学、駅のラックに置かれているのだとか。地元の人も、そうでない人も、ぜひ祖師谷みなみ商店街に足を運んでみてください。

変わりゆく下北沢の街で、変わらず愛される「kate coffee」

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下北沢で人気の隠れ家カフェ

2013年3月、下北沢の駅が地下化され、それまでの古い駅舎から地下深くまである大きな駅へと変貌しました。けれど、下北沢の街の賑わいは相変わらず健在。縦横無尽に広がる商店街には昼夜問わず人がごった返し、小さな雑居ビルにはお店がひしめきあっています。そんな下北沢に静かでゆったりくつろげるカフェがビルの2階にありました。

「Kate coffee」の店主、藤枝絵理さんは、お店を始める前、学生の頃から、同じく下北沢にある南口商店街で有名な、自家焙煎のコーヒー豆専門店「モルティブ」でアルバイトをしていました。カフェを巡るのが好きで、「いつかカフェをやりたい」と、就職をしてからも週に一度、アルバイトを続けながら、開店の夢を着々と進めていたのだとか。
「モルティブは常連さんが多くて、下北らしくフレンドリーで、あいさつを気軽に交わす感じがあって。ほかの地域のお店よりもすごく距離が近いような気がしたんですよね。だから、やるなら長く地元に根づくお店にしたいなと思っていました」(絵理さん)

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下北沢に惹かれて自然と集まった藤枝3兄弟

その頃、絵理さんも弟の智さんも下北沢在住、またお兄さんの憲さんも下北沢でデザイン事務所「Coa Graphics」を構えており、兄弟みな下北沢に魅せられていました。下北沢でお店を出すことを決めた3人は、1年かけてお店を始める準備を進めることに。しかし、物件探しは難航。なかなか空き物件が見当たらないなか、今の場所がまだ更地の時にビルが建つことを知りました。ビルの向かい側には、北沢タウンホール、周辺には本多劇場やライブハウスもあり人通りは絶えず、夜は下北沢で唯一タクシーを拾える茶沢通りに面しているため、「ここしかないね」と満場一致で決まりました。

変わらない昔の下北沢と、変わりつつあるいまの下北沢、両方を知る兄の憲さんも、下北沢の魅力をこう語ってくれました。
「オープンしてからのこの6〜7年で下北は一番変化しているんじゃないかと思います。店も入れ替わって、オープン当初とは風景が違いますね。僕はここで15年デザイン事務所をやっていますが、10年ぐらい変わってなかったんです。古着屋があって、ライブハウスがあって、演劇や音楽やってる人が大勢いて、平日からプラプラしている人も多くて(笑)。基本的に毎日日曜日みたいな感じで」(憲さん)

そんな下北沢の街のイメージ以上に、オープン当初から、いろいろな客層の方が来てくれたのだとか。
「時間帯によって、客層が違いますね。すごくロックなお兄さんの横でおばあちゃんがお茶していたり、お互いに共存していて。街を歩いててもいろんな人がミックスされて、違和感なくとけ込んでいる感じが、すごく下北らしいんじゃないかな」(絵理さん)

10時からモーニングをやり、夜は24時まで営業。一日のなかで、自由に使える使い勝手のよさが魅力です。カフェには兄の憲さんがセレクトしたカルチャー系の本がずらりと並び、カフェのごはんやケーキは、絵理さんと弟の智さんの2人が担当、兄の憲さんは、メニューやショップカードのデザインを担当しています。

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カフェ発信のフリーペーパーが人気

いまから6年前、兄の憲さんが「息抜き」で始めたというフリ—ペーパーがありました。1万部も発行していたそのフリーペーパーはいろいろなお店で配布され、それを見てお店に来てくれたり、それを手に入れたくてお店に来る人がいたりと、単なる読み物としてのフリーペーパー以上の“価値”がそこにはありました。

しかし、2011年の震災以降、フリーペーパーで使用していた紙が入手しづらくなり、その後は1枚のカレンダーメモを配布することに。日付入りのメモはお店を打合せで利用するお客さんにも好評で、その後2年間配布し続けました。中にはカレンダーを毎月集めに来るコアなファンもいたと言います。そして、物語が描かれたこのカレンダーメモは、『kate booksシリーズ』というリトルプレスとして、書籍化することが決定したのだとか。

「ネットで何でも見られる時代ですから、それだけで行った感じになっちゃうのはイヤだなと。きちんとお店に来てもらって、リアルに体験してほしいという思いから、ネットで公開するのではなく、フリ—ペーパーという形にこだわって作っていました」(憲さん)

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長く、常連さんに愛されるお店が目標

オープンして7年、だんだんとkate coffeeは常連さんも増え、人気のカフェとして知られるようになりました。
「モルティブで働いていた時に憧れていたお客さんとの親密な関係が、このカフェでも築けています。30年間同じ場所で営業しているモルティブでは、学生だったお客さんが結婚して子どもを生んで、その子どもが大きくなって通ってくれたり。そういう風に代替わりするまでこのお店をやりたいと思っています」(絵理さん)

実際、この7年で結婚して、子どもができてからも通ってくれる方がいたり、学生だった男の子が就職したりと、時の流れを感じるそう。「ずっと通ってもらえるということはカフェとしてはうれしいこと。今後10年は続けたい」と絵理さん。

「いまは道路ができ、駅が変わって、訪れる客層が変わりました。大きい道路ができるのに伴って、高いマンションが建つようになりますし、駅前も駅ビルになるらしくて。家賃が変われば小さいお店はもっとやりづらくなると思う。ここ数年で下北沢の風景が一変するかもしれませんね」(絵理さん)

これからも下北沢は変わっていく、今はまさに過渡期。そのなかで、「ここは変わらないね」とみなが安心して通い続けられる、そんな場所としてkate coffeeはあり続けてほしい。そう願っています。

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例えば今、地震があったら。知っておきたい世田谷区の防災対策

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災害が起きたら、まず身を守ること

例えば今、地震が起こったら…。火事にあったら…。川の水が氾濫してしまったら…。災害はいつ起こるかわかりません。また、そのとき家族と一緒にいるとは限りません。そんなとき、あなたはまず何をすればいいか、住まいのエリアの避難所はどこにあるか、知っていますか?

「災害が起きたら、まず身を守ること」と話す、浅利さん。世田谷区では、危機管理室災害対策課で区の防災計画をつくっていますが、さらに踏み込んで、より地域の力で自分たちを守るしくみをつくろうとしてきました。当時、世田谷総合支所の防災担当だった浅利さんは、地区ごとの防災訓練の見直しや、避難所運営のしくみづくりを実際に進めてきました。

「例えば今、大きな地震が起きたとして、最初にとらなければいけない行動は、自分の身を守ることです。この瞬間は、自分の力で何とかするしかないんですね。自助といいますが、区や公助的なものは、何もできません。机の下にもぐる、窓から離れる、特に頭を守る。火元を確認する人が多いのですが、揺れているときは命を守ることが大事で、火元の確認は揺れがおさまってからでいいんです。発生から時間が経つにつれて、避難所での生活といった、共助、公助が関わるフェーズになってきます。」(浅利さん)

世田谷区の防災についての基本方針は、「世田谷区地域防災計画」にすべて書かれているのだそう。消防署はもちろん、NTTといったライフラインに必要な民間企業も参加してつくられたもので、区役所や総合支所の区政情報コーナー、図書館で実際に閲覧することができます。

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身を守るためには、備えが必要

この「防災計画」には、区民と事業所の役割や、地震の規模によって想定される被害者数や倒壊家屋数なども記されています。

「地震の場合、生死を分けるのは、地震発生直後からせいぜい1〜2分くらい、ほんとうに一瞬のことなんです。頭をさっと守って、身を低くする。まず自分の身は自分で守るという意識が必要です」(浅利さん)

阪神・淡路大震災では、家屋の倒壊や家具が倒れたことによる死者が約8割だったのだとか。建物だけでなく、外壁が転倒する危険はないか、家のなかの家具の転倒や落下防止のためにできることを、普段からしておくことが大切です。

「避難用品の備えも大切ですね。私たちが皆さんのために用意している食料は、区が1日分、都が1日分。それしかないとも言えます。飲料水は、1人1日分として3リットル、家族が最低3日間生活できる分を用意してくださいとお伝えしています。4人家族だと、12リットルになります。そんなに必要なの?と思うかもしれませんが、行政ができることには限りがあるんです。自分の身は自分で守るという意識が大切です」(浅利さん)

また、ご自身の住まいのエリアの避難所は知っていますか?と浅利さん。地震に加えて火災も発生していると想定すると、仮に避難所が火災のが起きている方向だったら、避難所に行くことすら困難になる場合も。区内のほかの避難所も調べておいたほうがよさそうです。

「ここからは、地震発生から少し時間の経った、共助、公助の話ですね。ひとくちに避難所といっても、避難には手順があります。自宅が危険になったり、避難勧告があったりした場合にまず向かうのは「一時(いっとき)集合所」で、世田谷区には約400箇所あります。一時集合所が危険になったときは、区内に22箇所ある「広域避難場所」へ。そして、自宅での住居が困難な場合、区立の小・中学校である「避難所」へ向かうことになります。こうした知識は、非常時に必ず役に立ちます」(浅利さん)

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知っておきたい、世田谷区の防災対策

世田谷区の住民は約88万人ですが、区の職員は5,000人程度。さらに、その6割は区外に住んでいることや、職員自身も被災者となることも想定すると、いざというときは、やはり自分たちで助け合うことが必要になります。

「例えば阪神・淡路大震災のとき、火災が285箇所で発生したそうです。もちろん消防車が出動して消火にあたりますが、消火してから次に向かっていては到底間に合いませんよね。ですから、みなさんで助け合うことが必要になってきます。そのために、街路消火器も置かれているんです」(浅利さん)

区民相互の協力体制を築くために「区民防災会議」という組織をつくっています。「区民防災会議」は、「区全体」、「地域」、「27地区」の3層構成となっていて、各組織で防災リーダーの育成や、救命講習会、避難所運営シミュレーション訓練をするなど、日々さまざまな防災に取り組んでいます。

「世田谷区では、平成9年に全国に先駆けて、すべての区立小・中学校に「学校協議会」を設置しました。子どもの健全育成や教育活動についてはもちろん、この組織で“避難所の運営をする”という役割を担います。避難所の運営は、ルールがないと大変なことになるんです。救護が必要な患者のために、保健室はあけておく必要がありますし、薬品などが置かれている理科実験室を立ち入り禁止にしたり、また、備蓄品の管理なども必要です」(浅利さん)

また、「コミュニティの力をつけることが、まちの力をつけることになる」と浅利さんは言います。普段から挨拶を交わして、顔見知りであることは、とても重要なこと。災害時には、マニュアルどおりに物事は運びません。みんなで協力しながら、あらゆることに柔軟に対応することが必要になります。

災害時に被害を最小限におさえるためには、とるべき行動を体で覚えておくことも大切です。町会・自治会などで、防災訓練、避難訓練などが行われていますので、この機会に、ぜひ参加してみてはいかがでしょう。世田谷区の防災・災害対策のWebサイトも、ぜひ一度は確認しておきましょう。

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「世田谷パン祭り」、3年目の舞台裏

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世田谷パン祭り=地域の祭り

世田谷パン祭りの会場のひとつである三宿の商店会「三宿四二〇商店会」。その商店会の会長である間中伸也さん(写真中央)が実行委員長を務めている世田谷パン祭りは、今年3年目を迎えます。年々、来場者も反響も増し、コンテンツも充実していく、まさに育つ、発酵するお祭りです。

その世田谷パン祭りを支えるのが、商店会を中心とした地域の力や、学びの場を提供する世田谷パン大学、そしてボランティアの人々。それぞれの役割を担う3人にお話を伺うと、「地域の祭り」の要素がくっきりと浮かび上がってきます。発起人でもある間中さんが思う、パン祭りの魅力とは?

「買って食べて終わり、ではないところですね。パンをシェアしたり、ベンチに腰掛けたら隣の人と会話が始まったり、つながりが生まれるイベントを目指しています。年々、参加者同士、ボランティア同士のつながりが、どんどん広がってきています」(間中さん)

パン祭りから商店会へ、商店会からパン祭りへと、相乗効果を活かして三宿地域を盛り上げてきた間中さんは、3年かけて熟成した、地域の人たちの意識の変化も体感しているそうです。

「率先して手伝いたいというメンバーが増えたことや、パン祭りの様子を見て、地域を盛り上げるために商店会に参加したいという人も出てきたのが嬉しいですね。また、今年は運営の事務局とは別に、実行委員会が立ち上がり、地域主体でパン祭りの方針などを共有して考える場ができました。会議でも前向きな発言が多いので嬉しいです」(間中さん)

特に、間中さんが大事にしているのが「パン祭りは地域の祭り」ということ。混雑を想定して予め説明して周ったり、三宿界隈の方を対象に優先販売を設けたりと、気配りを忘れません。時には地域の方からの辛口なフィードバックも、よりよいパン祭りにつながっているといいます。

「今年パン屋さんにお願いしたのは、小さいサイズで価格を抑えたパンを作ってもらえませんか?ということ。この地域には、一人暮らしの高齢者の方も多いですし、いろいろな種類のパンが食べられて、他のお客さまも喜ばれるのではないでしょうか。」(間中さん)

商店会長だからこその視点が、パン祭りを誰もが楽しめるイベントへと導いているようです。

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学んで広げる、深める、パンの魅力

パン祭りの大きな特徴は、「学びの要素があること」と3人の縁の下の力持ちは口を揃えます。IID世田谷ものづくり学校(以下、IID)で学びの場を開校する自由大学が、前回に引き続き「世田谷パン大学」を企画プロデュース。学長の和泉里佳(写真右)さんに、パン大学の楽しみ方を伺いました。

「遊びに来た人が、ちょっとディープな体験ができるのが一番面白いところ。普段は聞けないパンづくりをしている人の話が聞けたり、思いもよらない食べ方を発見したり。パンを食べる各国の文化や歴史、背景を知ると、パンも味わい深くなるんじゃないでしょうか」(和泉さん)

「パン好きとひとくちにいっても、いろんなパン好きの人がいる」と和泉さんはいいます。パンに合うチーズやお酒、酵母パン作りなど、さまざまな興味の幅に合った授業を選ぶことができます。

「例えばチーズでいうと、このタイプのチーズに合うパンは何だろうという実験できたり、世界各国のチーズを比べたり。チーズ好きっていうきっかけから扉をひとつ開けるとわーっと世界が広がるみたいなことが、体験できると思います」(和泉さん)

普段から、バラエティに富んだ講座を開校している自由大学。レギュラー講師のワークショップに加え、“パンの聖地、三宿”界隈のこの日限りの講師も多数登場します。

「シニフィアンシニフィエの志賀さんをはじめとしたパンの世界での有名人もいれば、コーヒーワインなどパンをもっと楽しむためにいろいろな人が講師として活躍します。地域の人たちの力がエネルギー源になり、自由大学にとっても、地域とのつながりが生まれる場所になっています」(和泉さん)

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“自分ごとのボランティア”の活躍

さて、これまで聞いてきたパン祭りの舞台裏ですが、ボランティアがいなければ、運営はなりたちません。そのボランティアを取りまとめるのが、IID事務局であり、LLPスケット代表の秋元友彦さん(写真左)です。

「IID自体が、地域に根づいていこうという施設なので、その関係性の中でパン祭りがあります。会場のグラウンドや世田谷公園などの施設は、商店会さんと行うからこそ借りられますし。地域と共にある意味を最も強く意識するイベントですね」(秋元さん)

普段、IIDが主催する館内完結型のイベントとは異なり、いくつもの会場があり、来場者数も多数。その現場になくてはならないのが、ボランティアの人たちです。これまで毎年100名以上のボランティアが、交通整理、会場を巡回しての環境整備、受付やワークショップの運営などを担いました。
一つの仕事に偏らないようにローテーションを組み、希望する仕事を聞いて、ボランティアで参加しながらも、祭り自体を楽しめる工夫をしているといいます。休憩時間にはパンが買えますし、商店会の人たちが食事を振る舞ってくれる、お楽しみも用意されています。

今年はすでに説明会も2回開催し、チーム分け、リーダー決めも完了。運営の前段階から参加し、自発的に意見を言いながら関わることで、“スタッフの一員”と実感してもらいたいと考えているそうです。

「今年のボランティアの中には、去年に続いて参加してくれている人も多く、リーダーに立候補する人もいます。自分ごとに思ってくれる環境にあるイベントっていうのがいいですね。」(秋元さん)

今年のボランティアはまだまだ募集中。三宿商店会の人々や世田谷パン大学の人たちの想いとともに、自分自身も世田谷パン祭りに関わり担うつもりで、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

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■世田谷パン祭り公式ホームページ:http://www.setagaya-panmatsuri.com/
■パン祭りに関する最新情報はこちら:https://www.facebook.com/panmatsuri
■ボランティア募集についてはこちら: http://llpsket.exblog.jp/20862815

[9月の特集] パンを楽しむ祭典「世田谷パン祭り2013」

赤ちゃんとお母さんでホッとひと息。子育ての輪が広がる、親子カフェ

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お母さんの孤立化をなくしたい

小田急線の成城学園前駅から徒歩1分のところにある親子カフェ「パックスファミリア」。店内に入ると、木のぬくもりのある明るい空間に、かわいらしい木のおもちゃや絵本などが飾られています。店長の関口千鶴さんはこのカフェを始めた理由をこう話します。

「もともと子ども好きだったことと環境問題に興味があり、子育てと環境問題を結びつけたお店を開きたいと思いました」

結婚をきっかけに夫婦でお店を開き、まずは木のおもちゃの販売からスタート。子どもが舐めても安全な国内の天然無垢材を使用したおもちゃを探して取り揃えました。

また、開店準備の調査を進めるうちに、お母さんが子育てで孤立していることに気づいたという関口さん。親が遠くに住んでいたり、近所付き合いがなかったり、そんなお母さんたちの孤立化を、お店で解消できないかと考えました。
そこで、ハーバルセラピストの資格を持つ関口さんは、お店でハーブティーを提供することに。子どもたちが木のおもちゃで遊んでいる間、お母さんにゆっくりハーブティーとおしゃべりを楽しんでもらおうとカフェを始めました。
さらに、関口さんは持ち前のフレンドリーさを発揮。お店に来たお母さんに必ず話しかけたり、親子写真を撮影してプレゼントしたり、積極的な交流を心がけています。

「家族の幸せはママの笑顔から。家族という一番小さな枠組みが幸せになれば、もっと世の中は良くなるはず。小さなお店ですが、少しでも地域社会に貢献することができればと考えています」(関口さん)
その人柄に惹かれて、「煮詰まったので遊びにきました」「おしゃべりしに来ました」と言って来店されるお母さんも多いそう。「パックスファミリア」は、成城学園駅前を利用する、近所のお母さんが集まる憩いの場になっています。

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イベント満載で赤ちゃんもお母さんも楽しく

お母さんに楽しんでもらいたい、お母さん同士の交流を深めたいという思いから、たくさんのイベントも開催されています。
取材した日に開催されていたのは、日本音楽脳育協会の中込美香子さんによる「リズムマッサージ」。リズムマッサージとはベビーマッサージをリトミック(※)で楽しもうというもので、マッサージに音楽的な要素を加えることによって、赤ちゃんの五感を刺激し、心と脳と体の発達を促します。「お母さんの歌声や心地よいリズムに触れ合うことで、赤ちゃんの感性やお母さんの音育児力が豊かになります」(中込さん)。9月からは、新たに、0歳からのベビーリトミック講座もスタートするとのこと。イベントの後は、ハーブティーを飲みながら先生と関口さんとお母さんたちの子育てトークで盛り上がりました。
また、毎週月曜日は関口さんが、絵本の読み聞かせ会を無料で開催しています。読み聞かせ会では、お母さん同士を結びつける仕掛けも。

「毎回、参加者の自己紹介をしたり、お子さんの名前をストーリーにからめたり、交流の機会を増やしています」(関口さん)

他に、ハーバルセラピストである関口さんによる「ハーブ・アロマ講座」や、お店のベビー服を作っている土居マミさんの「みんなの手芸入門」など、たくさんの魅力的なイベントが開催されています。

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防犯・防災の情報やハザードマップも

店内には、地域の子育て情報も満載。近所の子育てマップや、子育てインフォメーションファイル、消費者庁の「子どもを事故から守るプロジェクト」などの資料が自由に閲覧できます。さらに、震災後は防犯・防災インフォメーションも加わり、世田谷区の地震や洪水のハザードマップなどが一目でわかるようになっています。各役所に行ってそれぞれ調べる時間はなかなかないので、こういった資料が一度に閲覧できるのはありがたいもの。ぜひ、一度自分の住んでいる地域の状況を確認しておきたいものです。
ただキッズスペースを設けたり、ベビーグッズを販売するだけではなく、地域のお母さんのサポートを第一に考えている「パックスファミリア」。お店というより、子育てサロンや児童館に近い印象を受けました。
初めての育児に不安な時や子育てに煮詰まった時、ふらっと立ち寄ってみませんか? きっと新しい子育ての輪が広がります。

(※)リトミックとはスイスの作曲家・音楽家エミール・ジャック・ダルクローズによって創案された音楽教育法。音楽を体で体験し、表現力や想像力を養う総合教育。

(撮影・文 中村 杏子 まちとこ出版社)

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松陰神社前で昭和35年創業のカクテルの店「バッカス」

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オープンして53年、松陰神社の昔を知る

松陰神社駅前に突如現れるバー。その名は「バッカス」。
ローマ神話の酒の神の名を冠したこのバーがオープンしたのは、なんと53年も前のことでした。
外から中を窺い知ることはできず、ドアを開くとき、少し緊張してしまいます。ドアの向こうには、タイムトリップしたかのような空間が。S字のカウンター、クロス張りのイス……すべて53年前から変わっていないのだとか。
壁にはお酒の瓶がずらりと並び、その横にはカクテルメニュー。そこには「ワインリスト」と書かれていました。なぜカクテルなのに「ワインリスト」なのでしょう?

「はるか昔、お酒といえばワインだったんですね。つまり、ワイン=お酒ということ。おそらくほかのバーでも、メニューは「ワインリスト」と書いてあるはずですよ」(飯塚さん)

チャージなしで、ドリンク代のみ、カクテル一杯650円〜からと、オーセンティックバーの趣ながら、松陰神社プライスなのもうれしい。

オープンしたのは昭和35年(1960年)のこと。なぜ、松陰神社で、このお店をやろうとしたのでしょうか?

「30歳でオープンしたんですね。それまでは、サラリーマンのような仕事です。自動車の修理工場に勤めてましてね、代田に住んで墨田区のほうへ通っていました。特にお店をやりたかったとかね、お酒が好きだったとかではないんです。その頃はね、仕事が選べなかったんです。なにかやらないとなと思ってね。お店を出すにもお金がなかったですから、三軒茶屋は無理でしたので、松陰神社になったんですね(笑)」(飯塚さん)

いまは東急世田谷線といえば、無人駅ですが、かつては駅員さんが常駐し、改札があったのだそう。“玉電”と呼ばれ、親しまれていました。

「世田谷線はね、大正14年からあるとても古い電車なんですよ。東京オリンピックでほとんどの路面電車はなくなってしまいましたけれどね。この松陰神社の商店街は、戦前からありましてね。すべて木造の2階建てだったんです。いまは見る影もありません」(飯塚さん)

東京オリンピックの開催は昭和39年。それを前後して、東京の街がだんだんと変わっていき、その町並みの変遷を見届けてきたという飯塚さん。

「昭和30年くらいかな? トリスバーやニッカバー、オーシャンバーがあちこちにあって、ハイボールを出してました。その頃はね、まだお酒がそんなにない時代でしたからね。松陰神社にも2~3軒くらいあったかな。けれど、いまではうちだけしか残ってないんです。これしかないから一生懸命やってきたっていう感じかな」(飯塚さん)

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毎日変わらず、お店に立つということ

住宅街にあるとはいえ、近所の方だけでなく、「ずっと電車から見えて気になっていて」と途中下車して訪れる方も多いという。テレビや、インターネットを見て、遠方から来る方も最近では増えました。

飯塚さんは、毎日このお店に立ち、シェイカーを振っています。

「母親がね、健康に生んでくれたから、こうして53年もやり続けられるんでしょうね。お休みは特別ございません。私が一人でやっていますんで、いつでもいいんです。基本的には毎日やっています。仕事というより、自分の生活のリズムの一部。いろんなお客さんと話してるだけで、世の中とのつながりを感じるわけです」(飯塚さん)

その昔、戦争中は“月月火水木金金”という言葉があり、「休日なんてなかった」と話してくれました。

「ここはね住宅街ですからね、いつお客さんがくるかはわからないですね。おばあさんに近い年齢の女性もお見えになりますし、最近では、女性おひとりでいらっしゃる方も多いですよ。うちはね、ドアが閉まっていて中が見えませんから、入りにくいかもしれませんけれど、住宅街のバーですからね、そんなに緊張することはありません」

とはいえ、一人でバーへ行き、どういう風に頼めばいいのか、カクテルの名前もわからず、どぎまぎしてしまうことも……。

「そういうときは、どんなものがお好みかをうかがいます。甘いのか、強いものか、弱いのがいいのか。カクテルの名前を覚えようなんて無理ですよ。写真のついたメニューもあるので、そういうものから選んでもらうこともあります。この雰囲気ですからね、一度入っていただければ、落ち着いて召し上がっていただけます」

店の名物ともいえる「ソルティードッグ」は、ウォッカではなく、ジンベース。

「それを召し上がるとね、飲みやすいとみなさんおっしゃいますね。塩をなかに入れるんですが、一番おいしい量を加減して、シェイクします。私の作り方はね、イギリスなもんですからね。スコットランドのほうはウイスキー、下の方はジンですね。ジンのほとんどはロンドンドライ。だから、ソルティードッグもジンベースなんですね。ソルティードッグはね、昭和15年、イギリスで誕生したんです。船の甲板員がね……」

ソルティードッグの逸話。この続きは、ぜひお店で。飯塚さんの軽妙な語りを聞きながら、塩気がほんのり感じられる、絶妙な味わいのソルティードッグをいただきました。

大人になってお酒を飲む機会は増えても、バーで静かにお酒を嗜む時間はそう多くありません。
「バーはひとりで飲む場所。ゆっくりと飲みにきてください」と飯塚さん。
「バッカス」は、今夜もひっそりとオープンしています。

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(撮影:渡邊和弘)