齋田記念館へのアプローチ。向かって右手には茶の木が植えられている
石段を登ると、自然豊かな別世界に
小田急線世田谷代田駅から環状七号線に出て南に向かうと、立派な石垣と白壁が見えてきます。門から入り、石段を上った先にある白い建物が「齋田記念館」。書画や古文書、茶道具など、おもに江戸から明治にかけての貴重な資料を保存・展示している施設です。
世田谷代田駅から徒歩7分、梅ヶ丘駅からは徒歩10分。敷地内は自然が広がり、静けさに包まれている
世田谷代田駅から梅ヶ丘駅にかけての地域は、かつて「代田村」という農村地帯でした。齋田家は、木曽義仲の家臣だった中原兼遠を遠祖とし、中世には世田谷城主だった吉良氏の家臣を務めていた旧家。「代田七人衆」と呼ばれる旧家のひとつで、八代目、平吉(へいきち/号・東野)の時代に代田村の年寄り役から名主となりました。明治時代になると広大な茶畑を経営するなど、地域の指導者的立場として代田村の発展に尽力したことで知られています。
一方で、齋田家には代々、詩書画などの文芸に秀でた人物が多く、八代目、平吉は幼い頃より儒学・書・詩を学んだのちに私塾を開設しました。九代目、萬蔵(まんぞう)は、画家の大岡雲峰に学んで「雲岱(うんたい)」の号を授けられ、動物や植物を描いた精密な博物図譜を残しました。このように多くの文人墨客に交わっていたことから、齋田記念館には多くの価値ある書画が残されています。
世田谷はかつて茶畑だった! その貴重な資料も
取材に訪れた7月中旬には、春季企画展「癒しの動物絵画−Healing Animal Paintings」と「ブラタモリ放映記念 《特別展示》齋田家の茶業」が同時開催されていました。
※現在は終了
展示室は1室のみ。ていねいな解説付きで分かりやすく展示されている
NHKの人気番組「ブラタモリ 下北沢(初回放送2023年4月22日)」で、かつて下北沢周辺に茶畑が広がっていたことを知り、驚いた方も多いのではないでしょうか? 幕末の開港後に重要な輸出品であった茶にいち早く着目し、伊勢から種を取り寄せて栽培を始めたのが、代田村最後の名主である十代齋田平太郎(へいたろう)です。
代田村は土地の起伏が激しいため稲作には向かず、村民の多くは貧困に苦しんでいました。十代目、平太郎は幕末の開港後、生糸と並ぶ主要な輸出品であった茶の価値に、いち早く着目。自ら私有の山林を開墾して茶の栽培を始めたほか、村民にも代田の土地に適した作物として茶葉の栽培を勧めました。十代目、平太郎は関西から製茶の機械を取り寄せ、ひときわ熱心に取り組んだといわれています。
齋田家所有の茶園を示す地図。「円乗院」の東側の急な傾斜地を砂利場といい、そこに1万2000坪もの広大な茶園が広がっていた
十代目、平太郎は55歳の若さで亡くなってしまいましたが、弱冠19歳で跡を継いだ十一代齋田又一郎(またいちろう)は、高麗(埼玉)や宇治(京都)、坂井(福井)から製茶師を呼び寄せて製法を学ぶなど、品質改良に邁進。その甲斐あって、代田村の煎茶は内国勧業博覧会や万国博覧会で入賞を果たし、明治15年(1882)には売り上げが最高に達します。
内国勧業博覧会の賞状。味や香りなど質の良さに加え、長期にわたって安定的に生産していることも評価された
十一代目、又一郎は、明治17年(1884)に設立された荏原郡茶業組合の惣代にも選出され、世田谷のみならず荏原地域(世田谷・品川・目黒)の茶業の発展に尽くしました。そのため齋田記念館には、明治期における荏原郡の茶業に関する資料も多く残されています。
武州荏原齋田園の茶箱
しかし、茶業の黄金期は長くは続きませんでした。明治期における最大の輸出先であったアメリカは、粗悪品が出回っていたことを理由に不正茶の輸入禁止令を発出。茶の価格は次第に下落し、関税も上がったため、多くの農家に打撃を与えました。
明治28年(1895)頃に使われていた茶業証票。茶業組合の組合員は検印を受けた証票を持っていた
さらに明治22年(1889)の東海道線全線開通により、東京の市場に大量の宇治茶が流入すると、地産地消が崩れ、村民は次々に茶業から撤退していきます。明治40年(1907)に十一代目、又一郎が亡くなり、 十二代齋田萬蔵(まんぞう)が家業を継いだものの、代田村の茶業を盛り返すことはできませんでした。明治42年(1909)には製茶工場と家屋が火災により消失。ついに齋田家も廃業を余儀なくされました。今は茶畑の跡地に住宅が建ち並び、当時の面影はまったく残されていません。
9月からは、書にまつわる展示を開催
「《特別展示》齋田家の茶業」はすでに終わってしまいましたが、2023年9月1日〜12月15日は、「澤田東江から齋田東野へ ―唐様の書の原点・王義之をめざして―」を開催。八代目、平吉は幼い頃から儒学・書・詩に秀で、澤田東江(さわだとうこう)に書を学び、東野と号しました。東野の書とその足跡を辿る、興味深い展示となりそうで、今から楽しみです。
九代齋田萬蔵(号は雲岱)の筆による博物図譜6種をデザインした「オリジナル日本茶―蘭字風ラベル(1袋200円)」は人気のお土産品。高級釜炒り茶をドリップバッグで楽しめる
記念館の奥には世田谷区有形文化財に指定されている齋田家屋敷が広がる(非公開)
記念館では年に2回、齋田家に残る書や絵画、歴史的資料などの展示が行われています。
交通量の多い環状七号線のすぐ近くにありながら、空が高く木々が揺れ、静けさに包まれている齋田記念館。江戸から明治にかけて代田地域の歴史に触れる事が出来る小さな記念館です。皆さんも気軽に足を運んでみてはいかがでしょうか?
(撮影 壬生まりこ)