世田谷に嫁いで半世紀。三軒茶屋「味とめ」辻教子さん

写真

東急田園都市線と世田谷線、2つの「三軒茶屋」駅を結ぶように伸びる小さな横丁が「すずらん通り」。お酒や美味しいもの好きに、お勧めの店が何軒もあるスポットです。

世田谷線側の入口からすぐの場所にある木造の建物が「味とめ」さん。創業43年目の風格を感じさせます。老舗にありがちな敷居の高さを感じさせないのは、女将の辻 教子さんの温かい人柄のせいでしょう。千葉県・鋸南町のご出身。いわし料理が並んだお店のメニューにもその影響がありますね。

「ええ。房総の鋸山(のこぎりやま)を越えて嫁いで来たんです。私が初めて世田谷に来たのは、昭和44年(1969年)春。渋谷駅から『玉電』の路面電車に乗ったのをよく覚えてますねぇ。次に来た同じ年の秋には、廃線になってなくなっていたんです。世田谷線を見ると当時が懐かしいですよ」

折しも自動車の数が増え、都内の路面電車が次々と廃線になった頃。街の姿も次々と変わりました。実は、世界の大都市で人と環境にやさしい乗り物として再び注目されている路面電車。世田谷では今でも三軒茶屋と下高井戸を結ぶ5kmの路線が現役です。

辻さんが見た世田谷は、映画『三丁目の夕日』シリーズにも描かれた高度経済成長期。その頃の「すずらん通り」、どんな感じでした?

「それはもう賑やか。40軒以上の小さな店が、すずらんの花が咲くように集まっていました。だから、名前もすずらん通り。その頃は焼肉屋さんが多かったです。時代の流れで三軒茶屋にもチェーン店が増えましたけど、うちと斜向かいの『きゃんどる』(欧風料理)さんは、ずっとここで営業しています」

すずらん通りの住所は、世田谷区太子堂。円泉寺(真言宗豊山派)に祀られた聖徳太子像が地名の由来です。ご主人と結婚を決めたとき「太子様のそばなら、商いもうまくいく」と直感したそうです。

味とめは、創業当初はふぐと天ぷらの専門店としてスタート。徐々に取引先の問屋や、地方から上京したお客さんの紹介で品数を増やしていきました。

「正統派の割烹をやりたい主人は怒るのよ。でも、商売をやるんなら生き延びなくちゃいけません。アイデアを考えるのはいつも私ですよ。自分じゃ『ロダンの考える人』って言ってるけど」

そんな旦那さんがあるとき病に倒れます。助けてくれたのは、同じすずらん通りのお店の方やお客様、仕入れ問屋の人々でした。

「主人にうなぎのたれの作り方を聞けなくなってしまって。そうしたら、ご近所の寿司職人が『穴子の骨で出汁がとれるようになったら、次はうなぎの骨でね』って、秘伝の味を教えてくれたの。他のお店には『肝を別に買って焼いてもいいね』とアドバイスをもらったり。あのときは嬉しかったです」

辻さんのご実家は、古くからある浄土真宗のお寺。お嫁に行く前は13体の仏像と寝起きをともにしていたそうです。小学生で終戦を迎えた、6人きょうだいの3番目。今では当たり前の「食べる」ということが困難な時代を厳しいしつけを受けながら経験しています。

下町風情がある世田谷の酒場。交わされる会話にどことなく気品を感じるのは、そんな女将さんの歴史にあるのかもしれませんね。顔なじみのお客さんもスマートに飲まれている印象です。

「つい最近では、学生時代から通ってくださった方が、教授になったらお祝いをうちでやろうという約束を覚えていてくれて。だから、赤飯を炊いて、鯛を焼いて、メニューにない献立を立ててね。そしたらもう、いらした11人が本当に喜んで。結局、ちっちゃな個人のお店が提供するものは、チェーン店のようなルールに縛られたものじゃないから、忘れないでくれるんです。ありがたいことですよ」

二人のお子さんも調理人になりました。以前には困ったうなぎの焼き方も、今では長男の富郎さんが習得。ご主人亡き後の調理場には、ふぐ調理人の免許を取って次男の浩さんが立っています。

朝9時半には店に立つという、元気ハツラツの74歳。のれんを守る女将さんの楽しい話と、長年愛されてきた滋味あふれる料理が、親戚の家にいるようにリラックスして味わえますよ。

写真

たわわに実を付けた、びわの木。女将の辻教子さんが世田谷に嫁いだ時、実家のお母さんに貰った実から種を植えたところ、立派に育って店を見守る大切な存在に。飲食店街にある世田谷の自然って、いいですね。

写真

大鍋で仕込まれているのは、看板メニューの「牛すじ煮込み」(530円)。下ごしらえを丁寧にしたその味は格別でした。

写真

これからの季節にピッタリな「うなぎ串セット」(1360円)。白焼き、蒲焼き、ネギ焼き、肝焼き、立派なかぶと焼きまで付いて、これはビールが進みそう…。写真の肝吸いは150円、骨揚げは420円で食べられる。

写真

取材が終わったスタッフを呼び止め「お腹いっぱい食べていきなさいね」といただいた、店の自慢料理。黒糖、ザラメ、日本酒で5日間煮込んだ「ママさんのきゃらぶき」をはじめ、どれもホッとする味で、味とめの愛される理由がわかります。甘ーいびわの実もご馳走さまでした!

「大人の街、感度の高い洗練された街」三宿

写真

■三宿のキーパーソン、間中さんのこと

田山:はじめまして。今日はよろしくお願いします。さっそくですが、間中さんのことを教えてください。

間中:ハンカチ専門店「H TOKYO」の運営と、三宿四二〇商店会を設立して、現在会長を務めています。

田山:会長さんをされていらっしゃるのですね。では、この三宿四二〇商店会の特徴は何ですか?

間中:「三宿で初めての商店会」ということですね。過去に商店会を作ろう、という話もあったそうですが、このエリアはお店が密集してないし駅も近くないことでなかなか実現には至らなかったようです。そういう意味でこの商店会は「新しくてめずらしい商店会」というところが特徴ですね。

田山:店舗の数はどのくらいありますか?

間中:大体25店舗くらいです。最近は古い店舗の方も商店会の活動を理解してくださり、活動に参加してくださっています。

草薙:設立されてからどのくらいですか?

間中:今年で3年目を迎えます。

田山:ちょっと話が前後しますが、そもそも、間中さんが商店会を設立しようと思ったきっかけは何ですか?

間中:自分はもともと「IID 世田谷ものづくり学校」(以下、IID)の副校長として、3年間地域の窓口やイベント企画のとりまとめなどをしていたのですが、IIDの将来のあり方を考えたときに、地域の方から「そもそもIIDの存在を知らない」「入りづらい」という意見をいただきました。当時は学校内でのイベントばかりで、学校外ではあまりイベントを開催していなかったんですね。その後、IIDを知ってもらうため、この三宿エリアでイベントを開催しようと企画が持ち上がりましたが、三宿エリアには商店会のような組織がなかったので、店舗に協力を求める際には一軒一軒お願いする必要があり、とても大変でした。そのとき「組織があれば話が進めやすくなるのでは」と考えたことがきっかけです。

田山:実際、商店会ができあがるまでにはどんな経緯がありましたか?

間中:IIDに在職中に、このエリアに「H TOKYO」をオープンさせたのですが、自分の店だけにぎわうよりこの地域全体で盛り上がった方がうれしいという思いで、IIDのスタッフと三宿エリアのお店を全部一軒一軒まわって声をかけ、何度か説明会を開催し、商店会設立にこぎつけました。

■三宿エリアのこと

間中:三宿は渋谷や三軒茶屋といった繁華街から距離があることもあり、バブル期に芸能人のお忍びスポットとして、飲食店などが流行りましたが、今では注目度がやや薄れてきた印象がありますね。今はどちらかというと物販店が増えています。お二人は三宿エリアについて知ってますか?

草薙:世田谷公園くらいしか行ったことがないです。

田山:私は世田谷パン祭りのときに来たことがあります。

間中:そうですか。おしゃれなお店もあるのでぜひ学生さんにも三宿エリアの魅力を広げてください!三宿は「大人の街、感度の高い洗練された街」というブランドイメージを高めていく活動をすれば、さらに魅力的な街になるんじゃないかと思っています。

■最近の活動のこと

草薙:最近はどんな活動をされているんですか?

間中:一番力を入れているのは「世田谷パン祭り」ですね。世田谷は個性豊かなパン屋さんがたくさんある激戦区ですし、世田谷公園という素敵な公園があるので、そこでパンを食べられる機会があればいいなと思って始めた企画です。他には世田谷公園の売店をよりよくしていこうということで、IIDと昭和女子大学とこの商店会が一緒になって企画を考えています。

草薙:売店企画もそうですが、昭和女子大学のゼミとコラボレーションしている企画も多いですよね。なぜ学生とコラボしようと思ったのですか?

間中:学生さんとコラボという意識ではなく、地域の方に理解していただくことが必要だと思ったので、この街で多くの時間を過ごしている学生さんや近所の小学校とのコミュニケーションを大切にしたいと考えたからですね。

■三宿のいいところ

草薙:間中さん個人として三宿エリアの好きなところはどこですか?

間中:時間がゆっくり流れているところですね。世田谷公園という財産もありますし、普通の商店会と違ってざわざわした感じもありませんし、ひとりひとりがゆっくり過ごせるところがいいですね。

■これからの課題のこと

田山:今年で3年目ですが、なにか大変なことはありますか?

間中:企画とと実務面での人員確保が大変ですね。お店の運営に長けている人たちはたくさんいますが、企画を考える人や実務に時間を割くことができる人が少ないところが課題です。そういう部分をうまくカバーして、もともとの住民の方を大切にしながら、さらに三宿エリアの魅力を高めていきたいですね。

間中伸也

三宿四二〇商店会会長/ハンカチ専門店「H TOKYO」オーナー
1976年生まれ。慶応大学商学部を卒業後、大手流通系企業に7年間務める。その後、IID世田谷ものづくり学校にて3年間副校長を務めている間、三宿四二〇商店会を立ち上げる。HP:三宿四二〇商店会H TOKYO

草薙真美(昭和女子大学)

昭和女子大学人間社会学部現代教養学科2年。エフエム世田谷(83.4MHz)で月〜木曜日23:00〜23:45放送の「CAMPUS RADIO COMPANY」の「昭和女子大知りたgirl!」に不定期で出演中。世田谷線の車体の好きな色は黄色と水色。

田山 楓(昭和女子大学)

昭和女子大学人間社会学部現代教養学科2年。エフエム世田谷(83.4MHz)で月〜木曜日23:00〜23:45放送の「CAMPUS RADIO COMPANY」の「昭和女子大知りたgirl!」に不定期で出演中。日々の日課は桜新町にある波平の髪の毛チェック。

フェルトが紡ぐ社会とのつながり

写真

この作業をしているのが、総合福祉センターに勤務している9名の知的障害を持つ方々。彼らは世田谷区の障害者雇用で総合福祉センターの清掃業務を行っています。そして今回、彼らの職域を広げる新しい試みとして、手先を使うフェルト事業が始まりました。

この事業を恊働する日本羊毛フェルトクラフト協会の渡邊さんは、「丸めるのが得意なひと、形をつくるのが上手なひと。それぞれの個性を活かして役割をもつことで、上手になってきました。なにより楽しんでくれているのが嬉しいですね。」そう語ります。今年3月にトライアルで始めたとき、予想以上に彼らが集中して作業している姿を目の当たりにし、可能性を感じました。

製作現場は終始和やかです。援助者のサポートのもと、彼らのペースで作りたいモチーフを中心に作業を進めていきます。雑談しながら真剣なまなざしでフェルトを丸める姿は、これまでの清掃業務とは違う一面が見えてきます。

そしていま彼らが目標にしているのが、8月に馬事公苑で行われる「せたがやふるさと区民まつり」への出展です。実は、馬事公苑のそばに東京農業大学があることや、国内60もの姉妹都市がマルシェで野菜を出展することがヒントとなって野菜のモチーフにしており、ブローチやキーホルダーとして販売されます。当日は彼らもブースで実演を行うのですが、これは自分が作ったものが購入されることを通して、お客さんと直に触れ合う喜びを体験する貴重な機会なのです。

今後は、南青山のカフェで販売も目標にしており、彼らが地域や社会とつながっていく新しいアプローチとして期待されます。