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つまみぐいで世田谷線の商店街を巡る

雨でも賑わう商店街
今年で7回目を迎えるつまみぐいウォーキング。今年はあいにくの雨でしたが、スタート前から大勢の人で賑わう三軒茶屋駅に到着。受付でお店の紹介や地図を掲載している冊子とチケットを配布され、各々つまみぐいウォーキングスタート!
まずは毎年人気のため、提供商品のソフトクリームがすぐに品切れてしまう「アーモンド洋菓子店」へ行ってみることに。このお店、なぜ人気なのかというと、“つまみぐい”と称しているイベントにもかかわらず、普段販売しているものと変わらない大きさのソフトクリームを味わえるというなんとも嬉しいサービス。チケットと交換したバニラとチョコのミックスソフトクリームは、1969年の創業以来変わらないという、懐かしくほっとする味でした。
次は今年初参加の「魚孝」へ。こちらでは甘辛に味付けしたイワシの素焼きをいただきました。
「初めて来店してくださるお客さまとコミュニケーションがとれて楽しいです。味を気に入ってくれて、他の商品を購入してくださるお客さまもいます」(魚孝さん)
お店は通常営業をしながら商品を提供しているので、買い物やカフェで休憩することもできます。お店の味を知ってから利用できるので、安心して買い物を楽しめます。
その後は若林駅の「ヒポポタマス」でプライドポテトをつまみ食いし、松陰神社前駅の「おがわ屋」でおでん種の松陰ジンジャー、世田谷駅では「いづみ家」のたぬきそば、「垣内」のまぐろの漬けにぎり、上町駅の「亜瑪羅亭」でタンシチュー、豪徳寺駅の「まねき屋」で手羽先、下高井戸駅では「エスポワール」の栗アンパン、「たつみや」のタイヤキと10店舗まわって満腹に。



自由なルートで、“つまみぐい”以外の楽しみも
つまみぐいできるお店を巡るだけでも十分に世田谷沿線を満喫できますが、せっかく沿線を歩くので世田谷名所巡りもおすすめです。
つまみぐいマップ推奨ルート上の「代官屋敷郷土資料館」では、都内唯一の代官屋敷を見学し、そこから少し足を伸ばして「豪徳寺」「松陰神社」の神社仏閣を巡りました。今回のイベントに参加し、知っているけど見る機会のなかった場所を訪れ、普段利用している商店街の知らなかった味を体験することができました。

即日完売の人気イベント
インターネットからの申込みで、即日定員に達してしまう「世田谷つまみぐいウォーキング」。事務局のNPO法人「まちこらぼ」理事長の柴田真希さんは、その秘密を次のようにお話しくださいました。
きっかけは2002年度から始まった、世田谷線沿線の駅前商店街を一斉掃除するイベント「駅と商店街のコラボレート・クリーン大作戦」を開催するうちに、掃除するだけではなく、参加者に商店街の味を知ってもらうため、掃除が終わった後につまみぐいができる連動企画を実施したそうです。
「今年で7回目を迎え、2,000人が参加するイベントに成長しましたが、最初の頃は見向きもされませんでした。1,000人が参加するようになった頃に、Twitterがはやり始め、参加しているお客さまがリアルタイムでツイートしたり、お客さま同士がTwitterでお店の情報をやり取りするようになりました。Twitterからイベントに興味を持ってくれた方が増えたと思います」(柴田さん)
イベント参加の83店舗のうち、つまみぐいできるお店は1人10店舗まで。提供する商品には限りがあるので、人気店を巡りつつ、どのようにお店をまわるか考えるのもイベントの醍醐味です。
「最初はつまみぐい用に商品を分けていた店舗も、いまでは通常の商品を提供するお店が増えています。アンケートでは、お腹がいっぱいになり満足しました、との声も多くいただいています」(柴田さん)
当日は世田谷線沿線を普段から利用している主婦の方はもちろん、日中は仕事などで商店街を利用することがほとんどない会社員の方など、たくさんの方が楽しんでいました。ぜひ、来年はご家族で参加されてみてはいかがでしょうか。



独自の道を追求するシニフィアン シニフィエのシェフ志賀さん
昔からあるパン屋さんと共存できる形に
世田谷くみん手帖編集部(以下、くみん手帖):「シニフィアン シニフィエ」のオープンは2006年10月なので、今月で7周年ですね。もともと、この立地を選ばれたのはなぜですか?
志賀さん(以下、敬称略):ここに縁があったと言えればいいのですが、実は何にもなくて(笑)。オーブンの背が高いので、スケルトンで3.5mくらい高さがある物件が必要でした。当初は、吉祥寺や三鷹、ギリギリ杉並区あたりで探しましたが、全然なくて。やっと見つけた物件がここだったんです。
くみん手帖:お客様はどのような方が多いですか?
志賀:僕のお店は、近所のお店の客層とバッティングしません。パンは日常品なので、普通は半径300mで勝負するんですけど、近所のお客様に頼らないパン屋を目指しました。


商圏は全国です。そのため、通信販売もしています。有名なパン屋ができたから、昔からあるパン屋さんが潰れるというのは僕的には嫌なので、共存できる形がいいなと思っています。僕の出勤時間は毎日22時ですが、そこからパンを作って終わりです。なので、オーナーが営業中にいないという、ヒドいパン屋です(笑)。
くみん手帖:作ることにフォーカスしてらっしゃるんですね?
志賀:はい。もともとお店というのは、そこの商品が並ぶことで一番いい雰囲気やイメージを作ることがすべてだと思っているので、それに全力投球するだけです。
健康のためにパンでできることをやっていく
くみん手帖:パンといっても何種類もありますよね。それぞれの個性を引き出すために、研究もされてこられたのでしょうか。
志賀:それはパンだけをやっていてもダメなんです。食事って、パンもおかずもデザートもあって成立するでしょう?まずは、自腹を切って勉強することが大事だと思います。僕は、24、5歳から今までずっと続けています。お金はそれにしか使ってないですよ。フランス料理も和食もイタリアンも、食べられる料理すべてを知りたいんです。自分がいろいろ食べてきたから、最終的なパンの味の落としどころが決められる。自分でゴールを決めないと作れませんから。
くみん手帖:逆に食べる方に求めることはありますか?


志賀:ありません。それは嗜好品だから。一つひとつのパンに、このパンの味はこうあるべきという自分の想いがないと作れませんが、その僕の想いと食べ手の想いがマッチした時には、喜んでいただけるのかもしれないですね。
ただ僕が考えているのは、食べるというのはその人の健康を維持することなので、気を使っていただけたらいいなと思います。食事全般ですけど、その中で、パンでできること。素材の追求も含め、それをできるだけやっていこうと思っています。
パンの特化した美味しさ以外は捨てる
くみん手帖:『世田谷パン祭り』は“発酵”がテーマですが、志賀さんは低温長時間発酵のパイオニアと言われていますね。
志賀:その方法は僕が30歳の時、師匠から教わりました。20世紀梨がなんで柔らかいのかというと、完熟する前に穫ったら1カ月寝かせて糖度を上げて出荷するかららしいんです。パンもそうすれば美味しいかもしれないと。僕は、発酵時間に12時間はみた方がいいと思っています。
くみん手帖:「世田谷パン祭り」ではトークショーも行われるそうですが、そのような場で技術をオープンにしているのはどんな想いからですか?
志賀:僕の場合、伝統的な作り方を踏襲しないで、自分なりにアレンジして作っています。基本は大事ですが、アレンジする楽しみを持ってもいいんじゃないですか?という想いで、オープンにしています。


でもね、僕のイメージとニュアンスですべては進むので、レシピを出しても同じものは作れないです。作る人の考え方や人間性が違うと同じものにはならないですよ。
くみん手帖:その人間性で大切なことは?
志賀:“どれだけ捨てられるか”かな。ある一つのパンの、特化した美味しさはどこか。それ以外は全部捨てる。そのパンの良さをとことん、そこだけを表現できるようにしていく。パン作りって、そういうことです。
「寝る時間と食べる時間以外は、働いていていい」と話す志賀さん。一つのことを追求し続けるストイックな姿勢とは裏腹に、穏やかで物腰の柔らかい人柄がまた魅力的です。そんな志賀さんから生み出されるパンは、素材の味が存分に活かされた感動の味わい。10月14日の「世田谷パン祭り」で、ぜひ「シニフィアン シニフィエ」の唯一無二のパンを味わってみてください。
プロフィール
志賀勝栄
1955年生まれ。(株)アートコーヒー、(株)ユーハイムを経て、2006年「シニフィアン シニフィエ」を下馬にオープン。著書『酵母から考えるパンづくり』(柴田書店)など。
[9月の特集] パンを楽しむ祭典「世田谷パン祭り2013」
山本多恵子
昭和ロマンあふれる「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」

玉電の運転台と、玉電ゆかりの品々
館内に一歩入ると右側に、現役を引退した玉電71形の運転台があります。これは東急電鉄から譲り受けた、正真正銘の運転台で、実際に走っていた時と全く同じ状態で展示されています。計器類はもちろん、料金箱なども当時のままに取付けられていて、運転席に座ってみることもできます。ハンドルレバーを握れば、玉電の運転手になった気分を味わえます。
玉電とは玉川電気鉄道の略称で、1907年(明治40年)、二子玉川付近の砂利を東京都心に輸送することを主目的として、本線(渋谷~二子玉川)が敷設されました。現在の世田谷区を横断していた路面電車です。当初は砂利輸送が主だったため、「砂利電」とも呼ばれていましたが、やがて旅客輸送も増大し、後に砧線(二子玉川~砧本村)と、世田谷線(三軒茶屋~下高井戸)が加わりました。
1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を契機に、都内の交通体系の見直しが行われ、1969年(昭和44年)に本線と砧線は廃止になりました。最後の3日間は、花電車が何度も何度も往復しました。世田谷の歴史の一幕として、この花電車の写真は世田谷の印刷物などに頻繁に使われていますから、ご覧になられた方も多いでしょう。現在、玉川線本線は地下鉄田園都市線となって玉川通り(国道246号)の地下を通り、世田谷線は今も旅客輸送に活躍しています。


世田谷ロマンを感じる、昭和のレトログッズ
運転台の反対側には、玉電ゆかりの品々や、鉄道グッズが展示されています。つり革などの玉電の内装品や行き先表示板など、駅名の看板や、各種プレート類、往年の写真類、線路の玉石まで、所狭しと並べられています。その他にも、歴史館前の駐車場には、玉電の巨大なパンタグラフも常設されています。
館内を奥に進むと、郷土の品々や昭和のレトログッズの展示コーナーです。年代は昭和30~40年代、映画『ALWAYS三丁目の夕日』とほぼ同時代です。この時代は、当歴史館の館長であり、長年にわたりこれらの品々の収集を続けてきた、大塚勝利さんの少年時代、青春時代にも重なります。
大塚館長は瀬田の農家に生まれ、少年時代を過ごしました。青春時代は、三軒茶屋のおそば屋さんで修業を積みました。そして1970年(昭和45年)に、この地におそば屋さんを開業しました。大塚館長にとって、もっとも思い出深い時代です。それが、歴史館のコレクションのコンセプトになっています。
一番奥のコーナーは、脱穀機や農工具類など、昔の農具が大切に保存展示されています。当時は世田谷にも農地がいっぱいありました。その手前のコーナーには、同時代のテレビやラジオ、蓄音機など電化製品、カメラ、貯金箱、空き缶や空き箱など、当時の庶民の生活雑貨が並びます。
あまりに種類が多いので、これらは毎月テーマを決めて、入れ替え展示を行っています。例えば、今年の1月は、お正月の遊び道具コレクション特集でした。お面や双六、けん玉、獅子舞の獅子頭まであります。今までに、文房具、ソノシート・レコード、ベーゴマ、マスコット人形、お面、腕時計、フィルム缶等々と展示を続けてきました。また、栓抜きや王冠、ビールジョッキ、ビール瓶の空き箱など、元おそば屋さんならでは、というお宝が大変豊富です。高価な物は多くありませんが、とにかくその数が大量なので、並べて見ると圧巻です。



二千を超える収蔵品で、世田谷の歴史を伝える
「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」は、玉電や郷土の歴史を後世に伝え残していかなければならないという、大塚館長の強い使命感に端を発しています。
それはまた、大塚館長が生まれ育った世田谷への、郷土愛でもあります。かつて世田谷で庶民の足として活躍した玉電に愛着を感じ、ゆかりの品々を収集してきました。あるいは、農家の機具をはじめ、面影薄れゆく昭和の時代の品々を、伝え残したいという特別の思いがあります。
この郷土愛を、大塚館長は“世田谷ロマン”と呼んでいます。
当歴史館の収蔵品は、二千点を超えるとも言われていますが、収蔵品は今も増え続けています。大塚館長自らが、世田谷ボロ市などに出向くこともありますし、他の収集家から、貴重な品々の保存を託されることも少なくありません。
「出会いを大切に」がモットーの大塚館長は、来館者に愉快な昔話やこぼれ話を交えて、親切に展示品の解説してくださいます。世田谷ロマンあふれる「大勝庵 玉電と郷土の歴史館』に、ぜひお立ち寄りください。


シニア倶楽部 田島秀子
ふわふわ、ほんのり甘い香り。世田谷の美味しいパンケーキ
商店街のいまを伝える、祖師谷みなみ商店街フリーマガジン

仮想店主「みなみさん」が、祖師谷みなみ商店街を案内
フリーマガジン「みなみマガジン」は、2012年12月に創刊して、次が3号目。祖師谷みなみ商店街振興組合に加盟する店舗が掲載された地図と、店舗の情報、周辺の地域情報などが掲載されています。
このフリーマガジンの発行は、「ココキヌタ」というフリーマガジンを創刊するココキヌタ編集部の活動を、祖師谷みなみ商店街の我部山さんが目にとめてくれたのがきっかけだったと、ココキヌタ編集部の田中久貴さんは言います。
「広告出稿にこだわらず、半ば自腹で発行している『ココキヌタ』の活動を、見ていてくださったんですね。商店街が雑誌づくりのバックアップをしてくれ、年2回の『みなみマガジン』を発行することになりました。ふだん商店街を利用していても、入りにくいお店や、気づいていない商店街の魅力ってまだまだあると思うんです」(田中さん)



そんな「みなみマガジン」は、仮想店主の「みなみさん」が毎号表紙を飾ります。デザイナーの川口茉莉香さんは、みなみさんにはプロフィールがあると説明してくれました。
「商店街の店主っぽい頑固さがありつつ、繊細な一面も持っているという設定で。生まれも育ちも砧で、酒屋『みなみ屋』を支える2代目なんです(笑)」(川口さん)
最新号がリニューアルされ、誌面がさらに充実
第1号、第2号では、祖師谷みなみ商店街の店舗紹介をしてきましたが、10月に発行される第3号は、夕方からでも楽しめるおしゃれなバーやカフェ、レストランを「アフター5特集」として紹介する予定です。
「商店街にある個人商店、特に夜に回転するバーなどは、入りにくい印象を持たれがちです。そういったお店を開拓できるようにと、今まで入りにくかったおしゃれな飲食店を、特集として提案したいと考えています」(田中さん)
今、第3号は編集の真っ最中。ちょうどこれから取材をするという、イタリアンレストラン「オステリア エジリオサーラ」の取材に同行しました。同店は、イタリア・ピエモンテで修行をしたシェフが腕をふるう、本格的なイタリア料理が味わえると人気。料理に合うイタリアワインの種類も豊富に揃います。
「このイタリア料理店の店主さんもそうですが、どの店主さんもみんな、人情味溢れているんです。この商店街に取材で足を運ぶうちに、その温かみに惹かれるようになりました」(川口さん)


「オステリア エジリオサーラ」の気さくな店員さんが、「『みなみマガジン』はみんな持って帰るんだよね、すぐになくなっちゃうんだよ」と言うと、「では次回は多めに持ってきます!」と川口さん。
また、ウルトラマンを生んだ円谷プロダクションが砧にあることから、祖師谷みなみ商店街は、祖師ケ谷大蔵駅を囲むほかの2つの商店街、祖師谷商店街振興組合、昇進会と合わせて、「ウルトラマン商店街」と呼ばれています。
「祖師谷みなみ商店街の終点に、日大があることから、まちづくりの会や商店街のお祭りは、地域づくり、まちづくりに興味のある日大の学生さんがよく参加してくれるんです。みなみマガジンの編集も、学生さんがインターンとして参加してくれています」(田中さん)
祖師谷みなみ商店街の変わらない魅力を伝えたい
祖師谷みなみ商店街のフリーマガジンを始めたのは、小田急線の高架化にともなって駅もあたらしくなり、商店街の店舗も常に入れ替わりがあるなか、ローカルな店主とこの街に暮らす人とのコミュニケーションや、下町のような変わらない魅力を伝えたかったから、と田中さんは言います。
「じつは、私の実家が祖師谷にあるんですが、祖師谷の魅力は、人の雰囲気が変わらないところにあると思うんです。そうした魅力を伝えるには、フリーマガジンがいいと思いました」(田中さん)
情報収集の中心がインターネットとなった今、フリーマガジンを発行しても本当に手に取ってもらえるのかという不安もあったのだそう。それでも、主婦の方の情報源は、お子さんが通う小・中学校の“ママ友”の会話や、商店街の店主との会話にある。だからこそ、家事の隙間時間などにも気軽に読めるメディアは魅力的なんじゃないかと確信を持ったのだとか。



「別の議論をすれば、商店主はもっとビジネスマン的になるべきだし、ビジネスマンはもっと商店主的になるべきだと考えているんです。私は、平日はビジネスマンですが、土日はこの祖師谷という地元で、その良さを伝えることに尽くしてみたいと思っています。最終的には、この商店街に関わるいろんな人が、個性や専門性を活かして、『商店主だけのものではない商店街にしていく』ことが目標。ちょっと大きな目標ですけどね(笑)」(田中さん)
欧米でいうところの教会のように、職場と家庭とも違うサードプレイスとしてこの商店街がさらに愛されるよう、その最初の一歩として商店街の魅力を発信していくこと。
田中さん、川口さんをはじめとするココキヌタ編集部は、情に厚く頼りになる店主たちのつくり出す魅力に触れながら、フリーマガジン「みなみマガジン」の編集に奔走しています。「みなみマガジン」は、祖師谷みなみ商店街の各店舗や、周辺大学、駅のラックに置かれているのだとか。地元の人も、そうでない人も、ぜひ祖師谷みなみ商店街に足を運んでみてください。
変わりゆく下北沢の街で、変わらず愛される「kate coffee」

下北沢で人気の隠れ家カフェ
2013年3月、下北沢の駅が地下化され、それまでの古い駅舎から地下深くまである大きな駅へと変貌しました。けれど、下北沢の街の賑わいは相変わらず健在。縦横無尽に広がる商店街には昼夜問わず人がごった返し、小さな雑居ビルにはお店がひしめきあっています。そんな下北沢に静かでゆったりくつろげるカフェがビルの2階にありました。
「Kate coffee」の店主、藤枝絵理さんは、お店を始める前、学生の頃から、同じく下北沢にある南口商店街で有名な、自家焙煎のコーヒー豆専門店「モルティブ」でアルバイトをしていました。カフェを巡るのが好きで、「いつかカフェをやりたい」と、就職をしてからも週に一度、アルバイトを続けながら、開店の夢を着々と進めていたのだとか。
「モルティブは常連さんが多くて、下北らしくフレンドリーで、あいさつを気軽に交わす感じがあって。ほかの地域のお店よりもすごく距離が近いような気がしたんですよね。だから、やるなら長く地元に根づくお店にしたいなと思っていました」(絵理さん)

下北沢に惹かれて自然と集まった藤枝3兄弟
その頃、絵理さんも弟の智さんも下北沢在住、またお兄さんの憲さんも下北沢でデザイン事務所「Coa Graphics」を構えており、兄弟みな下北沢に魅せられていました。下北沢でお店を出すことを決めた3人は、1年かけてお店を始める準備を進めることに。しかし、物件探しは難航。なかなか空き物件が見当たらないなか、今の場所がまだ更地の時にビルが建つことを知りました。ビルの向かい側には、北沢タウンホール、周辺には本多劇場やライブハウスもあり人通りは絶えず、夜は下北沢で唯一タクシーを拾える茶沢通りに面しているため、「ここしかないね」と満場一致で決まりました。
変わらない昔の下北沢と、変わりつつあるいまの下北沢、両方を知る兄の憲さんも、下北沢の魅力をこう語ってくれました。
「オープンしてからのこの6〜7年で下北は一番変化しているんじゃないかと思います。店も入れ替わって、オープン当初とは風景が違いますね。僕はここで15年デザイン事務所をやっていますが、10年ぐらい変わってなかったんです。古着屋があって、ライブハウスがあって、演劇や音楽やってる人が大勢いて、平日からプラプラしている人も多くて(笑)。基本的に毎日日曜日みたいな感じで」(憲さん)
そんな下北沢の街のイメージ以上に、オープン当初から、いろいろな客層の方が来てくれたのだとか。
「時間帯によって、客層が違いますね。すごくロックなお兄さんの横でおばあちゃんがお茶していたり、お互いに共存していて。街を歩いててもいろんな人がミックスされて、違和感なくとけ込んでいる感じが、すごく下北らしいんじゃないかな」(絵理さん)
10時からモーニングをやり、夜は24時まで営業。一日のなかで、自由に使える使い勝手のよさが魅力です。カフェには兄の憲さんがセレクトしたカルチャー系の本がずらりと並び、カフェのごはんやケーキは、絵理さんと弟の智さんの2人が担当、兄の憲さんは、メニューやショップカードのデザインを担当しています。



カフェ発信のフリーペーパーが人気
いまから6年前、兄の憲さんが「息抜き」で始めたというフリ—ペーパーがありました。1万部も発行していたそのフリーペーパーはいろいろなお店で配布され、それを見てお店に来てくれたり、それを手に入れたくてお店に来る人がいたりと、単なる読み物としてのフリーペーパー以上の“価値”がそこにはありました。
しかし、2011年の震災以降、フリーペーパーで使用していた紙が入手しづらくなり、その後は1枚のカレンダーメモを配布することに。日付入りのメモはお店を打合せで利用するお客さんにも好評で、その後2年間配布し続けました。中にはカレンダーを毎月集めに来るコアなファンもいたと言います。そして、物語が描かれたこのカレンダーメモは、『kate booksシリーズ』というリトルプレスとして、書籍化することが決定したのだとか。
「ネットで何でも見られる時代ですから、それだけで行った感じになっちゃうのはイヤだなと。きちんとお店に来てもらって、リアルに体験してほしいという思いから、ネットで公開するのではなく、フリ—ペーパーという形にこだわって作っていました」(憲さん)


長く、常連さんに愛されるお店が目標
オープンして7年、だんだんとkate coffeeは常連さんも増え、人気のカフェとして知られるようになりました。
「モルティブで働いていた時に憧れていたお客さんとの親密な関係が、このカフェでも築けています。30年間同じ場所で営業しているモルティブでは、学生だったお客さんが結婚して子どもを生んで、その子どもが大きくなって通ってくれたり。そういう風に代替わりするまでこのお店をやりたいと思っています」(絵理さん)
実際、この7年で結婚して、子どもができてからも通ってくれる方がいたり、学生だった男の子が就職したりと、時の流れを感じるそう。「ずっと通ってもらえるということはカフェとしてはうれしいこと。今後10年は続けたい」と絵理さん。
「いまは道路ができ、駅が変わって、訪れる客層が変わりました。大きい道路ができるのに伴って、高いマンションが建つようになりますし、駅前も駅ビルになるらしくて。家賃が変われば小さいお店はもっとやりづらくなると思う。ここ数年で下北沢の風景が一変するかもしれませんね」(絵理さん)
これからも下北沢は変わっていく、今はまさに過渡期。そのなかで、「ここは変わらないね」とみなが安心して通い続けられる、そんな場所としてkate coffeeはあり続けてほしい。そう願っています。


「世田谷パン祭り」、3年目の舞台裏

世田谷パン祭り=地域の祭り
世田谷パン祭りの会場のひとつである三宿の商店会「三宿四二〇商店会」。その商店会の会長である間中伸也さん(写真中央)が実行委員長を務めている世田谷パン祭りは、今年3年目を迎えます。年々、来場者も反響も増し、コンテンツも充実していく、まさに育つ、発酵するお祭りです。
その世田谷パン祭りを支えるのが、商店会を中心とした地域の力や、学びの場を提供する世田谷パン大学、そしてボランティアの人々。それぞれの役割を担う3人にお話を伺うと、「地域の祭り」の要素がくっきりと浮かび上がってきます。発起人でもある間中さんが思う、パン祭りの魅力とは?
「買って食べて終わり、ではないところですね。パンをシェアしたり、ベンチに腰掛けたら隣の人と会話が始まったり、つながりが生まれるイベントを目指しています。年々、参加者同士、ボランティア同士のつながりが、どんどん広がってきています」(間中さん)
パン祭りから商店会へ、商店会からパン祭りへと、相乗効果を活かして三宿地域を盛り上げてきた間中さんは、3年かけて熟成した、地域の人たちの意識の変化も体感しているそうです。
「率先して手伝いたいというメンバーが増えたことや、パン祭りの様子を見て、地域を盛り上げるために商店会に参加したいという人も出てきたのが嬉しいですね。また、今年は運営の事務局とは別に、実行委員会が立ち上がり、地域主体でパン祭りの方針などを共有して考える場ができました。会議でも前向きな発言が多いので嬉しいです」(間中さん)
特に、間中さんが大事にしているのが「パン祭りは地域の祭り」ということ。混雑を想定して予め説明して周ったり、三宿界隈の方を対象に優先販売を設けたりと、気配りを忘れません。時には地域の方からの辛口なフィードバックも、よりよいパン祭りにつながっているといいます。
「今年パン屋さんにお願いしたのは、小さいサイズで価格を抑えたパンを作ってもらえませんか?ということ。この地域には、一人暮らしの高齢者の方も多いですし、いろいろな種類のパンが食べられて、他のお客さまも喜ばれるのではないでしょうか。」(間中さん)
商店会長だからこその視点が、パン祭りを誰もが楽しめるイベントへと導いているようです。




学んで広げる、深める、パンの魅力
パン祭りの大きな特徴は、「学びの要素があること」と3人の縁の下の力持ちは口を揃えます。IID世田谷ものづくり学校(以下、IID)で学びの場を開校する自由大学が、前回に引き続き「世田谷パン大学」を企画プロデュース。学長の和泉里佳(写真右)さんに、パン大学の楽しみ方を伺いました。
「遊びに来た人が、ちょっとディープな体験ができるのが一番面白いところ。普段は聞けないパンづくりをしている人の話が聞けたり、思いもよらない食べ方を発見したり。パンを食べる各国の文化や歴史、背景を知ると、パンも味わい深くなるんじゃないでしょうか」(和泉さん)
「パン好きとひとくちにいっても、いろんなパン好きの人がいる」と和泉さんはいいます。パンに合うチーズやお酒、酵母パン作りなど、さまざまな興味の幅に合った授業を選ぶことができます。
「例えばチーズでいうと、このタイプのチーズに合うパンは何だろうという実験できたり、世界各国のチーズを比べたり。チーズ好きっていうきっかけから扉をひとつ開けるとわーっと世界が広がるみたいなことが、体験できると思います」(和泉さん)
普段から、バラエティに富んだ講座を開校している自由大学。レギュラー講師のワークショップに加え、“パンの聖地、三宿”界隈のこの日限りの講師も多数登場します。
「シニフィアンシニフィエの志賀さんをはじめとしたパンの世界での有名人もいれば、コーヒーワインなどパンをもっと楽しむためにいろいろな人が講師として活躍します。地域の人たちの力がエネルギー源になり、自由大学にとっても、地域とのつながりが生まれる場所になっています」(和泉さん)



“自分ごとのボランティア”の活躍
さて、これまで聞いてきたパン祭りの舞台裏ですが、ボランティアがいなければ、運営はなりたちません。そのボランティアを取りまとめるのが、IID事務局であり、LLPスケット代表の秋元友彦さん(写真左)です。
「IID自体が、地域に根づいていこうという施設なので、その関係性の中でパン祭りがあります。会場のグラウンドや世田谷公園などの施設は、商店会さんと行うからこそ借りられますし。地域と共にある意味を最も強く意識するイベントですね」(秋元さん)
普段、IIDが主催する館内完結型のイベントとは異なり、いくつもの会場があり、来場者数も多数。その現場になくてはならないのが、ボランティアの人たちです。これまで毎年100名以上のボランティアが、交通整理、会場を巡回しての環境整備、受付やワークショップの運営などを担いました。
一つの仕事に偏らないようにローテーションを組み、希望する仕事を聞いて、ボランティアで参加しながらも、祭り自体を楽しめる工夫をしているといいます。休憩時間にはパンが買えますし、商店会の人たちが食事を振る舞ってくれる、お楽しみも用意されています。
今年はすでに説明会も2回開催し、チーム分け、リーダー決めも完了。運営の前段階から参加し、自発的に意見を言いながら関わることで、“スタッフの一員”と実感してもらいたいと考えているそうです。
「今年のボランティアの中には、去年に続いて参加してくれている人も多く、リーダーに立候補する人もいます。自分ごとに思ってくれる環境にあるイベントっていうのがいいですね。」(秋元さん)
今年のボランティアはまだまだ募集中。三宿商店会の人々や世田谷パン大学の人たちの想いとともに、自分自身も世田谷パン祭りに関わり担うつもりで、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。


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■世田谷パン祭り公式ホームページ:http://www.setagaya-panmatsuri.com/
■パン祭りに関する最新情報はこちら:https://www.facebook.com/panmatsuri
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