世田谷の夏夜を彩る「たまがわ花火大会」の舞台裏

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「1時間」のためにかける準備期間は10ヵ月

「今年のテーマは“世田谷物語〜助け合おう地域の力 咲かそう大輪を!〜”です。たった1時間の打ち上げ時間ですが、花火の種類や音楽、さまざまな要素を組み合わせて、テーマを表現しているんですよ」と語るのは、成城学園前駅から歩いてすぐの世田谷区砧総合支所 地域振興課の浅利さん。浅利さんは地域振興・防災担当で、花火大会を担当されて今年で4年目だそうです。たまがわ花火大会は浅利さんを含む世田谷区の職員と、自治会や商工会などで構成される実行員会が中心となり運営しています。

「毎年11月にはどういうテーマでどんな花火を打ち上げるか考えはじめるので、10ヵ月は準備することになりますね」と浅利さん。その準備期間の長さに驚かされます。華やかな花火の陰には、綿密な警備計画を立てるという大仕事も待っていて、警察、警備員含めて2,000人規模の警備体制を組み、“東京都一”と目される安全な花火大会をつくりあげているそうです。

テーマが固まったら、毎年打ち上げを依頼している「株式会社イケブン」と打ち上げる花火の内容を練り上げます。プログラムの内容を花火職人にお任せする花火大会も多い中、たまがわ花火大会は妥協しません。浅利さんは、プログラムの構成、打ち上げる花火の種類、音楽まで、とことん職人と話し合います。

「毎年世田谷ならではのプログラムを考えています。たとえば、世田谷にはアフリカの大使館が多いんです。それにちなんで、去年はアフリカをイメージしたプログラムも入れました。花火職人さんたちが、動物のかたちの花火を一生懸命つくってくれましたね」(浅利)

趣向を凝らしたプログラム構成だけでなく、たまがわ花火大会ではオリジナル花火や都内では貴重な大きな花火を見ることができます。打ち上げることができる花火の大きさは「保安距離」といって、打ち上げ場所から観客がいる場所や周囲の建物までの距離によって決まります。直径320mにもなる10号(尺玉)花火を打ち上げるには、人や建物と240m以上離れていなければならないため、東京ではなかなか見られないとのこと。しかし、多摩川の河川敷やグラウンドを広々と使ったたまがわ花火大会なら、それも可能。世田谷区のオリジナルで全国的にもとても珍しい全長600mにも及ぶ3D花火や都内屈指の8号玉の100連発花火など見所がたくさんあります。

花火の種類や大きさ、そして背景にある物語を知ると、一層花火大会が楽しめるはず。花火大会に合わせてつくられるパンフレットとホームページには、そんな通な楽しみ方ができる豆知識もたくさん載っています。

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区民とともにつくりあげる花火大会

世田谷ならではのプログラムに加えて、震災以降、東北との関わりも生まれました。昨年からは、復興への願いを込めて、東北の花火師がつくった花火が世田谷の空に打ち上げられています。さらに、東北の物産展の開催や、震災後に東北から世田谷区内に避難された方々の招待などもあり、東北との縁は今後もつながっていきそうです。

たまがわ花火大会は今でこそ6,000発もの花火を打ち上げる大きな催しになりましたが、最初は、灯籠流しや盆踊りなど「ラブリバー多摩川を愛する会」という団体が企画していた夏行事がはじまり。そこに徐々に観客が増え、区が共催する形になりました。地域主導で始まった花火大会ですが、資金のほとんどは、世田谷区の財源という状態が続いていました。こういった財政上の理由から、縮小傾向にある全国の花火大会も多いそうです。しかし、たまがわ花火大会は世田谷区も地域に住む人もみんなが力を出し合うことで、さまざまな取り組みを実施しながら区民参加型のイベントに成長していることも見逃せません。

その取組みのひとつは、平成19年から始まった有料協賛席の導入。一番人気の最大10人が利用できる大型シート席やテーブル席、イス席、そして今年からはペア席も登場しました。また、夜店への出店も、世田谷区内の法人や地元の商店街、自治会やおやじの会などから募り、毎年約60店舗が参加します。他の花火大会に比べるとお店は少ないかもしれませんが、夜店まで区民参加型でまかなう花火大会は珍しいそうです。

「さまざまな取組みが実を結んで、区民からの協賛金の比率が年々増えているんですよ。極めつけは、花火の帰り道に協賛金を入れてもらう募金箱を設置したこと。今年の花火大会の最後のプログラムは昨年皆さんにいただいた募金で打ち上げるんです。自分が直接参加できる実感って嬉しいんですよね。今ある参加方法以外にも、新しい企画をこれからもどんどん考えていきたいです」(浅利)

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区民の参加は花火大会の後片付けまで続きます。主催者が「ラブリバー多摩川を愛する会」だった頃から続く、花火大会翌日の「たまがわクリーン作戦」。参加者は年々増え、今年は1,200名ほどのボランティア参加が見込まれています。花火を楽しむだけでなく、河川敷や周辺の住宅地の清掃活動まで含めて花火大会が定着しているのも、この花火大会の大事な一面です。

たくさんの想いが集まる一夜の彩り

「花火を見て、家族や友だちと夏の幸せな思い出をつくってほしいと、実行委員会一同、企画も警備もがんばっていますよ。間近で見たらその迫力に圧倒されますから、ぜひ見に来てほしい。来た人の笑顔を見るとやってよかったと心から思うし、花火大会はなくしちゃいけないですよね。先日、プライベートで行った飲み屋で “いろんな花火大会に行ったけれど、たまがわ花火大会が一番良かった”と話している人がいて、すごくうれしくて握手をしたいくらいだった」と話す浅利さんの表情は本当に嬉しそうでした。

苦労も多いけれど、お客さんの笑顔がダイレクトに伝わってくると、来年はどんな花火大会にしようかと、もう次のことを考えてしまうそうです。今回、お話しをうかがって、浅利さんをはじめとしたスタッフ、花火師の方々、黒子で奔走する人たちの入念な準備があることを改めて知りました。1時間の短い時間に込められたさまざまな人の想いを知ると、ちょっとだけいつもの花火大会が新鮮に映る気がします。

同じものは二度と見られない、丹精込めたオリジナルプログラム。今年はどんな物語が夜空に彩られるのか、期待が高まります。

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【打ち上げ花火豆知識 -花火の種類-】
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 打ち上げ花火の代表的な模様。星が尾を引きながら放射線状に飛び散り、菊のような模様を描きます
牡丹 菊と同様に放射線状に広がる打ち上げ花火ですが、尾を引かず点を描くのが特徴です
万華鏡 玉詰めの段階で星を一握りずつ袋に詰めたものを分散して込める花火。何本かずつの光が飛び出す
 構造上別の種類のポカ物の一種で、玉が上空で2つに割れ、尾を引きながら流れ落ちていきます

写真写真写真写真冠(かむろ) ひらいた瞬間花火がすぐに消えず、そのまま流れ落ち地面すれすれで消える花火です
椰子(やし) 太い軌跡を描きながら星が広がり、その南国の椰子を思わせる大胆な美しさが魅力です
千輪 構造別の種類の半割物に属します。花火がひらいた後、一瞬遅れて小さな花火がいくつも開きます
 星が回転しながらランダムに飛び回り、その様子はさながら蜂が飛んでいるように見えます

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世田谷区たまがわ花火大会 概要
■日時:20013年8月17日(土) 19:00〜20:00
   ※荒天の場合は翌18日(日) 19:00〜20:00順延
■場所:世田谷区立二子玉川緑地運動場
■主催:世田谷区たまがわ花火大会実行委員会、世田谷区
※以下、実行委員会構成団体
喜多見東部町会/喜多見上部自治会/喜多見中部町会/喜多見西部町会/喜多見北部町会/宇奈根町会/鎌田南睦会/鎌田協和会/都営喜多見2丁目団地自治会/大蔵本村睦会/岡本自治会/玉川町会/瀬田町会/玉川商店街振興組合/二子玉川商店街振興組合/二子玉川振興対策協議会/二子玉川西地区まちづくり協議会/日赤奉仕団喜多見分団/日赤奉仕団用賀分団/世田谷区町会総連合会/東京商工会議所世田谷支部/世田谷区商店街連合会/公益社団法人世田谷工業振興協会/世田谷区内農協協議会(計24団体)
■お問合せ先:せたがやコール 03-5432-3333
■ホームページ:http://www.tamagawa-hanabi.com/

【有料協賛席チケット販売のご案内】
都内屈指の8号玉100連発、夜空に花開く10号尺玉は、わが身に降ってくるよう…。
会場の立地を生かした全長600mに及ぶ3D花火は世田谷区オリジナル!
迫力満点の花火を体験できるスペシャルシートを用意してお待ちしています。
詳しくはコチラ >> http://www.tamagawa-hanabi.com/payseat.html

[ 7月の特集 世田谷の夏のお祭り ]

地域を繋ぐコミュニティ酒場。経堂さばのゆ 須田泰成さん

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きっかけは、植草甚一さんのエッセイから

いまから25年前の1988年。かつて渋谷の公園通りにあった大盛堂書店の2階で、須田青年は、植草甚一さんの本に出会い、衝撃を受けました。植草さんといえば、ジャズ、映画、ヒッピー文化など、日本にサブカルチャーを紹介した有名なエッセイスト。あるとき須田青年は、植草さんの本で「経堂」という町を初めて知ることになります。生前、植草さんは経堂に住んでいたのでした。

須田「経堂の駅を降りると魚屋さんの威勢のいい声が聞こえてきて、八百屋があって、まるでサザエさんに出てきそうな商店街でした。実際に住んでみると、植草さんが書いているとおり、古本屋もあって、中古レコード屋もあるし、個人のお店が多くていい町だなと思って。それで経堂に引っ越してきたんです」

その後、母親の病気をきっかけに実家のある大阪を拠点に働きはじめ、映像、広告業界で修行して、ロンドンへ留学。97年、日本へ戻ってくることになりました。

須田「東京に戻るなら、あの町に住もうと、97年に経堂に越してきました。それ以来、ずっと経堂に住んでいます。もともと、個人で経営しているお店に通うのが好きだったんですが、隣にいる人がたまたまプロの棋士だったり、陶芸家だったり、普段なかなか出会えない人たちとの出会いが楽しくて、どんどん経堂での店通いにはまっていったんです」

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商店街を守るためにできること

2000年代に入って、全国的に商店街の勢いがなくなった。ある時、馴染みの商店の変化に気がついたという須田さん。個人経営の店は景気の浮き沈みがダイレクトに影響します。

須田「『経営が苦しい』と行きつけのラーメン店の店主がぼやいていたんです。500円のラーメンより安いラーメンを出すお店が近くに登場し、そっちに人が流れてしまった。『からから亭』という名前のラーメン屋だったんですが『がらがら亭』になっちゃったよと(笑)。この店がなくなったら困ると思い、もっと広く知ってもらうために、そのお店のホームページを作ったんです」

さらに、須田さんは人が集まるイベントも開催しようと、毎週月曜日に「からから亭」に集まる立ち飲みバルイベントを企画。新しいお客も取り込み、3年間で150回も開催する大盛況のイベントとなりました。それをきっかけに、ほかの店とも交流が生まれ、もっと経堂を盛り上げようと、「経堂系ドットコム」というホームページを立ち上げます。

須田「経堂って、世田谷のなかでも下町なんです。商店街もたくさんあって、お店同士の横のつながりがすごい。自分のお店の定休日にほかのお店に行ったりと、交流がさかんだから、情報が早いし、『うちも載っけてよ』と、いつのまにかどんどん輪が広がっていきましたね」

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経堂の救世主は、なんと「さば缶」!?

2007年、ご当地グルメで町おこしをしようと日本各地で始まった動きを受けて、経堂でもなにかないかと考えたのが「さば缶」でした。ある居酒屋のまかないメニューとして出した「さば缶ネギバター醤油」が評判になり、経堂にある13店舗を巻き込み、「さば缶」フェアを展開。メディアでも取り上げられ、近隣にお住まいの俳優・西郷輝彦さんも「我が青春の味」とテレビで絶賛するほどまでに。

この「さば缶」ブームをきっかけに、街の相談を受けることが増えたという須田さん。
「17年経堂に住んで、毎日どこかで飲んでいて、そこで知り合った人から相談されることが多くなりました。そこでイベントやネットで情報を発信して、新たなお客さんを獲得するためのアイデアを本格的に考えるようになっていったんです」

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経堂と地方をつなぐ「さばのゆ」

“飲みニュケーション”を通して知り合った人々とのつながりで、須田さんはコミュニティプロデューサーとして、経堂だけじゃなく、さまざまな地域とつながっていくことになります。2009年、経堂でコミュニティスペース「さばの湯」をスタートさせることになりました。

須田「銭湯って、かつてはどの地域にもあって、人が集まって触れ合う場所でした。コミュニティのハブになる、人が集まる場所を僕も作りたかった。だから店をやるなら『~ゆ』という名前をつけたかったんです」

須田さんが築き上げてきた関係は、経堂という町を軽々と飛び越え、新潟、高知、青森、奈良など、全国に広がっていきます。そのひとつが、2011年3月の東日本大震災で、社屋や工場も流され壊滅的な被害を受けた、宮城県石巻市にある「木の屋石巻水産」です。震災前から「さば缶」で交流のあった須田さんは、震災後すぐ、がれきの中から、泥や油にまみれた缶詰を掘り起こしてきれいに洗い、その缶詰を経堂の飲食店で使ってもらったり、販売したりして、その売り上げを全額義援金にする活動を始めました。多くの義援金が集まり、この運動は「希望の缶詰」と呼ばれ、須田さんが絵本「きぼうのかんづめ」として一冊にまとめました。メディアにも大きく取り上げられたこのプロジェクトも、もともとはお世話になった人を助けたいと、個人的な思いから始まったこと。それはまさに、須田さんがずっと経堂でやってきたことと同じでした。

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須田さんがひたすら店に通い、時間をかけてだんだんと顔なじみになり、そうして築き上げた店主や常連さんたちとの関係は、経堂という町だからこそ生まれたもの。「さばのゆ」をはじめ、活気のある商店を見ていると、人の営みが息づく町だとつくづく感じます。町があるから人が集まるのではなく、人が集まるから町が生まれる。須田さんと話をしていると知らず知らずのうちに引き込まれていく。そんな“求心力”を感じました。

文化もユニバーサル化へ、世田谷パブリックシアターの出張公演

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いつものホールが別世界に

この日やってきたのは、上北沢ホーム/デイ・ホーム上北沢という、入居している方と、日帰りのデイサービスを受けている方の両方がいらっしゃる施設。1日に平均45名のデイサービス利用者がいる施設で、世田谷区では2、3番目に大きな規模のホームです。

この日公演の舞台となったのは、一階のレクリエーションホール。会場までゆっくりと歩いてくる方、車椅子に乗っていらっしゃる方さまざまですが、続々とお年寄りが集まり、60名ほどの観客がホールに並びました。
公演が始まるまでの間、前座は職員の方が務めます。「最近は雨が多いんだか少ないんだかよく分からない天気ですけれども…」と始まり、芸達者な話術でお年寄りたちの関心をひきます。

そしていよいよ「@ホーム公演」の新作、『きみといつまでも〜わたしのお父さんはロボットです〜』(ノゾエ征爾さん脚本/演出/出演)が開幕します。この作品のストーリーは「森に住む女の子とロボットお父さんのちょっと変わった親子と、ふたりをとりまく青年と動物がおりなす、ドタバタ人情物語!(資料より)」というもの。しかし大掛かりな舞台セットはなく、観客の前に置かれているのは黒板だけです。開演前は、状況がよく飲み込めず、ポカンとしている方も目に付きましたが、その不安はすぐに吹き飛ぶことになりました。

上演に施された工夫の数々

というのも「@ホーム公演」では、お年寄り向けにさまざまな工夫がされています。まず劇の始まりには、皆の顔見知りである職員さんが前座を務めた後、扮装して出演し、場を和ませます。その後登場した4人は全員がプロ。出番になると自己紹介し、役名を黒板に大きく書きます。滑舌(かつぜつ)のいい話し方、平易な言葉づかい、そして黒板を使った文字の補助など、耳が不自由な方や理解に時間のかかる方に配慮ある演出のお陰でぐっと観客が前のめりになったのを感じました。

ほかにも、世界的なパントマイミスト山本光洋さんによる、見事なロボットの動きや、「三百六十五歩のマーチ」「君といつまでも」をはじめとする懐メロに、観客はみるみる惹き込まれていきました。舞台セットの黒板も、役者が隠れる場になったり、人形劇の舞台になったりと大活躍。また、お年寄りがパントマイムに一部参加するような仕掛けも、会場を沸かせます。随所にこれでもかと引き込まれる要素がてんこもり。しかも演じるのは、世田谷パブリックシアターほか各地で活躍するプロの演出家や俳優たちです。ストーリーや演技のクオリティを保ちつつも、直観的でわかりやすい、すばらしい舞台をつくりあげていました。

プロの演技に顔がほころぶお年寄り

始まる前は「何を言っているのか分からない」と不安がっていたおばあさんも、始まってみるとケラケラ笑っていたり、微動だにせずじっと見入っていた方が、「朧月夜」が流れた瞬間に、はっきりと美しい声で口ずさんだり。皆うんうん頷きながら体を揺らし、さまざまに楽しんでいました。「君といつまでも」は全員で大合唱となり、最後には涙を流す人もあちこちに見られました。「来てもらってありがたかった」「本当にかわいかったねぇ」「飽きさせないからすごい」と、客席のあちこちからの感謝の声とともに、30分の夢の時間は終わりました。

アウトリーチ演劇の意義

観劇を終え、この4月から上北沢ホームの施設長を務める、木谷哲三さんにお話をうかがうことができました。木谷さんは、以前は世田谷パブリックシアターも管轄する世田谷文化生活情報センターの副館長で、平成22年から始まった第一弾「@ホーム公演」を実現させた立役者の一人でもあり、今回のような公演の意味を当事者として実感されている方です。

木谷「もともと世田谷パブリックシアターでは、劇場を飛び出して芸術を生活の中に取り入れるような活動を目指してきました。しかし、施設に入所されているようなお年寄りには、なかなか演劇を届けることができませんでした。一方で、世田谷パブリックシアターにとって、若手演出家の育成事業も大事な役割です。そこがマッチしたのが、当時まだ新人だったノゾエ征爾さんが新作をつくり、老人ホームを巡回するという試みでした」

前作の『チャチャチャのチャーリー〜たとえば、恋をした人形の物語〜』は、3年かけてのべ30施設で公演、1800人の方々が鑑賞したといいます。この日こけら落としだった新作も、重度障がい者施設を含め、名乗りを挙げた世田谷区内11ヵ所の施設を、2週間かけて回ります。

木谷「介護の現場にも、本物を提供すること、そしてそれが《演劇》である点もポイントです。芝居は、意図的に感情を増幅させて表現しますよね。それがいいんです。普段あまり笑わない認知症の方が大笑いしたり、落ちつきのない方が集中して観劇したり、いつもと違う表情が引き出される。演劇には、セラピーとしての可能性もあるのだと実感しています」

もちろん、お年寄りの方々だけでなく、演出家、俳優をはじめとしたスタッフにとっても、この巡回公演はいい経験です。「観客と一緒にいい舞台ができる」といわれる演劇の現場。閉じた蓋が開くように感情を表に出して観劇するお年寄りの方々とつくる舞台は、格別な喜びがあるそうです。

木谷「@ホーム公演であっても、世田谷パブリックシアターでやる演劇と、何ら変わりない手順で作品づくりをしていますよ。スタッフもみなプロです。文化もユニバーサルデザインの時代。本物を、今まで届きにくかった人の元へきちんと届けることが大事な時代になってきています」

木谷さんがいうように、日常生活の中に潤いを与える芸術の楽しみは、日常生活が困難なところにこそ、必要とされています。今のところ、東京都内で「@ホーム公演」のような取組みをしている区は、他にありません。世田谷パブリックシアターが贈る夢いっぱいの演劇は、施設にいる方々を楽しませることはもちろん、福祉の文化化、文化のユニバーサル化、両方の課題に応える手法として、今後さらに重要な役割を担っていくのではないでしょうか。

(撮影:庄司直人 )

世田谷パブリックシアター@ホーム公演
『きみといつまでも ~私のお父さんはロボットです~』
脚本/演出=ノゾエ征爾
出演=山本光洋、たにぐちいくこ、井本洋平、ノゾエ征爾

人の営みが交差する、旅と暮らしの本屋「ピリカタント書店」

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とにかく本が好き!が出発点

「ピリカタント」という言葉は耳慣れないけれど、不思議と愛らしく一度聞いたら忘れられない響きです。魔法の呪文のようなこの名前、北海道で生まれ育った店主の西野さんが、“タントピリカ=美しい今日”というアイヌ語をアレンジしてつくった店名です。この店名が象徴するように、日々の美しさや何気ない喜びを見いだせるようにと、ピリカタント書店はオープンしました。

書店がオープンしたのは、2012年の11月。くつろげる雰囲気の店内には、古書、新刊本両方が並び、本以外の雑貨の存在感もなかなかのもの。そして、店内右手のカウンターには、西野さんが漬けたという、ブルーベリーや甘夏など、旬の果物の酵素やシロップの瓶が並んでいます。それらを使ったお手製の飲み物や、西野さんが「みんなのお母さんになった気持ちでつくる」ごはんもピリカタント書店になくてはならない要素です。西野さん曰く「おばあちゃんちに来たみたいっていわれることもある」ほどのゆったりした空間。本と本からこぼれ落ちるさまざまな世界が一緒になって、懐の深い印象を受けます。

西野「とにかく子どもの頃から本が大好きなんです。東京に出てきて文化服装学院に入ったのは、ファッション雑誌に携わりたかったから。大量生産で消費のサイクルも早い業界に疑問を感じましたが、卒業後は、本が好きという基本に立ち帰り、いくつかの会社で編集のアルバイトを経験しました。その後、『ごはんとくらし』をテーマに出版を続けるアノニマスタジオに入社して、生きることと本気で向き合う姿勢を先輩や著者から学びました。本を編集するとき、“あなたの根っこはなんなの?”と問われる場面がすごく多いんです。正解や良し悪し求めるのではなくて、自分が求めるものを体現していくことは、お店をやるようになった今でも大事にし続けていることです。共感や夢を伝えるパイプ役という意味では、編集者だった自分と、本屋の役割は何も変わっていないんです」

アノニマスタジオを退職した後は、アルバイトでお金を貯めては旅、またアルバイトしては旅、という日々を送っていたという西野さん。その2年半ほどの間に世界各国に足を運んで、さまざまな見聞を広げました。しかし、旅から得た結論は意外なもの。「非日常を求めて外へ外へと行っても、心が動くのは夕日だったり、初めて海の中で見た海底だったり、何気ない食事だったり、日常にあるものなんだなと気づいたんです」と西野さんは言います。そして、毎日の中に旅の要素があればすてきだし、本を開くといつも旅の気分を味わえるから本が好きなのだと改めて思ったそう。そしてその想いがピリカタント書店の原型になりました。

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下北沢の物件と運命の出合い

西野さんは、いつかは自分のお店を持ち、日常にいながらにして旅情が味わえたり、ほっと一休みして日々の中のすてきに気づけたりする空間をつくりたい、という想いを親友に打ち明けました。すると、しばらくして、その親友が思いがけず下北沢の物件を紹介してくれました。

西野「最初は今すぐ何かやりたいというわけではないし、やるならもっと自然のある場所がいい、と思っていたんですが、せっかく紹介してくれたので、見てみるだけのつもりで行ったんです。そしたら“ここだ!”と思ってしまいました。お店に対するアイデアがどんどん生まれ、その日は眠れなかったくらいです」

下北沢駅から歩いて5分ほど。想い描いた理想の場所とはほど遠かったはずなのに、恋に落ちてしまったその部屋は、今になってみれば自分のやりたいことにぴたりと寄り添う物件だったのです。

西野「学生時代は友だちと集まる拠点が下北でしたが、いろいろな人種が行き交う町というイメージでした。下北を目指してみんな来るような。けれど、お店を始めてそのイメージが変わりました。もちろん遊びに来る人も多いけれど、生活がよく見える町なんです。暮らしている人も多いし、いい意味で人間くささがある。お金を持っているかいないかとか肩書きとかいう価値観ではなくて、下北沢には自分の道徳の中で生きている人が多い気がします」

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内装も、本や雑貨も、ごはんも、
背景が分かるもので

さて、「真っ白い箱」だった元ギャラリーカフェは、どうやって窓が大きくて明るく、ブランコまである(!)本屋へと生まれ変わったのでしょう。

西野「本当にお金がなかったので、世田谷区産業振興公社の創業支援資金制度を利用しました。絶対に無理だとみんなに言われたけれど、正しいことをやっているのだし、審査に通らないはずはないと信じて、あきらめませんでした(笑)」。

西野さんの真っ直ぐな気持ちは通じ、めでたく融資が決定。空間デザインと内装は、友人でもあり世田谷区若林に店を構える、noteworksにお願いしたのをはじめ、さまざまな友人の力を結集してお店ができあがりました。「友人たちや友人が運んでくれる縁がなかったら、お店は続いていません」と西野さんはいいます。

西野「お店が完成することもないと思うんです。背景を知っているもの、きちんと思い入れがあるものを扱うことは柱に据えつつ、自分も学びながら、柔軟にあり方は変化させていきたいですね。本では伝えきれないことも、イベントや雑貨を通して伝えて、さらにこれからは例えば自分でリトルプレス(zine)をつくったりして何かを発信していけたらいいですね。それに本とのかかわり方もいろいろあっていい。レンタルする試みも始めているんですよ」

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西野さんの感性が媒介となって、お客さんは、本からにじみ出る旅情や日常の中の喜びと出合い、また日常に戻っていきます。今後さらに、暮らす人、行き交う人々の止まり木的な場所として「生活のにおいのする」下北沢の日常の景色のひとつになっていくのが楽しみな本屋さんです。

世田谷という「地域」と暮らす人の「顔」をつなぐ取り組み

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世田谷という「ローカル」を知り、守るために

「三軒茶屋」の地名は、その名の通りかつてその土地に三軒の「お茶屋」があったことに由来しています。人口88万人が暮らす世田谷区には三軒茶屋のように全国的にも有名な地域も多く、いわゆる「地域活性」という言葉からは遠く思えてしまうもの。しかし、誰もが知っているエリアでも、路地に入るとシャッターが閉じた通りや、知らなければ通りすぎてしまうような小さな商店も数多く存在しています。

そんな世田谷では、ここをひとつの「地域=ローカル」と捉え、地域と人とのつながりを深めようとする取り組みが行われています。今年の2月と5月に連続開催された「世田谷ビジネス伝承フェア」は、世田谷地域に根付く地域ビジネスの実情を知り「廃業」から守ろうとするイベント。2月のトークイベントには、若い女性からご年配の方まで地域に興味のある幅広い層が集まり、イベントを主催する特定非営利法人カプラー代表の松村拓也さんによる司会進行のもと「世田谷のビジネス」について語り合われました。

区内でさまざまなビジネス講座を開催している松村さんは「仕事は社会の財産であるという考えがありますが、ビジネスそのものも社会の財産です」と語り、「ビジネスの廃業には”儲からないこと””跡継ぎがいないこと””将来性がないこと”の3つが原因にあります。人口88万人が暮らす世田谷区でも、跡継ぎがみつからずに廃業することや、将来性がないために諦めてしまうことが多いんです」と世田谷に存在する課題を提示。「地域の財産を守るために、まず問題を話すことが重要です」と語ります。

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太子堂「八幡湯」と下北沢「しもきた茶苑」の話

「ビジネス伝承フェア」では、実際に地域ビジネスを営んでいるご本人がその実情について語ります。太子堂にある銭湯「八幡湯」の金山喜久雄さんは、銭湯の旦那衆が集まって民謡や踊りを披露する集団「銭湯ダンナーズ」のひとり。銭湯という商いについて「うちの銭湯では毎日徹底的に掃除をやっております。自慢ではないけど世田谷で一番きれいな自信もあります」と陽気に語りながらも、近年の状況について「かつては都内に2800件も銭湯があり、日曜日は1000人、平日でも600〜700人ものお客さんが来ていて、それぞれが儲かっていました。しかし最近は1日に100人も来ないことがある」と厳しさを語りました。

下北沢で代々続くお茶屋を営んでいる「しもきた茶苑」の大山泰成さんは、一般には聞き慣れない「茶師」としても活躍される方。「かつて下北沢もお茶の産地だったことがありました」と、お茶と地域を知る大山さんの話では、黒船来航から海外への輸出品として栄えはじめたお茶は、昭和30年代頃から国内消費がはじまったことで「お茶屋」が増加したとのこと。しかし、昭和20〜30年代には下北沢だけで10軒以上あったお茶屋も、今は2軒になったと言います。

「お茶屋の繁栄はここ50〜60年の繁栄のことだから、なくなることもある。自分が努力しなければ消えてしまうこと、私たちは肝に命じながらビジネスをしています」と、厳しさを冷静に語りながら仕事人としての熱も伝えてくれました。

「ビジネス伝承フェア」ではスピンアウト企画として、5月に「しもきた茶苑」を訪れてのお茶会も開催しました。お茶会で大山さんは、日本に9人しかいない茶師のひとりとして、普段はなかなか知ることができないお茶屋のことや、美味しいお茶の飲み方を披露し参加者からは「スーパーで買うだけでは分からない貴重な話が聞けた」と好評を博しました。

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暮らす人と地域の「顔」が見えるように

きっかけさえあれば「こんなに身近にプロフェッショナルがいたんだ」と心強く感じられる、すぐそばにある銭湯やお茶屋も知らないままだとつい通りすぎてしまい、お互いの存在をなんとなく知らないまま無関心になってしまうもの。

「ビジネス伝承フェア」を運営する皆本徳昭さんは「震災以降、多くの人が自分の足元をみるようになりました。実際、震災時にはスーパーからお米がなくなりましたが、お米屋さんにはお米がたくさんありました。でも、お米屋さんは常連さんに売れるようにシャッターは閉めていた。それが地域にとって何よりのセーフティネットだと思います。インターネットに出ているだけじゃなく、本当の意味で”顔が見えているか”が大事です」と人と地域がつながることの大切さを語ります。

世田谷区には日本全国からの転入者も多く、もともと地元ではない人も多く暮らしている分、世田谷という地域とつながるきっかけがないまま過ごしてしまう人は少なくありません。「伝承フェアは、地域で商売をする方と地域に暮らす人が知り合う機会にもなります」と皆本さん。

こうしたきっかけが、世田谷の課題を解決するひとつ方法となり、世田谷と区民のよりよい関係を築いていくはず。「これまでは商店街にお店を出している方が、どんなことを考えているか分からなかったけれど、もっと相談すればいいんだと思った」という参加者の声にも、取り組みへの期待が現れていました。

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紙でつくるミニチュア、1/100の世界「テラダモケイ」

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テラダモケイとは

テラダモケイの「1/100建築模型用添景セット」は、模型といっても実にリアル。自動販売機に「たばこ」の文字がちゃんと入っていたり、ガードレールには東京都のイチョウのマークが!また、人物の配置やポーズなどをさまざまに表現できるのが魅力で、土下座やプロポーズ、酔っ払いのおじさん、自転車で出前を急ぐ人など、つくる人によって、さまざまな街の光景を演出できる面白さがあります。

シート1枚ごとにテーマがあり「水辺の公園編」「工事現場編」など街の風景を切り取ったものや「お花見編」「クリスマス編」などの季節もの、「東京編」「NY編」などの都市シリーズも。およそ月1本のペースで新作を発表してきて、現時点(2013年6月)でNo.34の最新作「バンコク編」まで揃っています。
バンコク編には、年老いた犬やトゥクトゥクなど、これまた現地に暮らす人の視点で切り取られた風景が広がります。

寺田「みんな知ってはいるけど、普段気にもとめないような風景を敢えて表現することで、“あるあるある”と共感してもらえたりするんですよね。」

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建築設計の仕事とテラダモケイは
最終目的が同じ

もともとこの添景セットは、建築家である寺田さんが、建築模型につける添景を作り置きしようと考えたのが始まりでした。

寺田「模型を素敵に見せるには、建物そのものよりも周りに配置する“添景”といわれる人や家具、街路樹といったものが重要なんです。でも徹夜で模型をつくっていると、肝心の添景をつくる頃には疲れ果ててしまうことがよくあります。そこで、この添景をあらかじめ量産しておければいいなと思ったんです」

寺田設計事務所では、建物の建築設計や、プロダクトデザインなどの仕事を主に手がけています。寺田さんが感じてきたのは、家をつくるうえで、設計は最終目的ではなく手段に過ぎないということ。本来の目的は、その家で家族と楽しくご飯を食べたり、コミュニケーションしたりといった人の営みをデザインすることだと言います。

寺田「でも設計ばかりやっていると、その本来の目的を忘れちゃうことがあるんですよね。一方で、このテラダモケイは人の日常やコミュニケーションを直接表現するものなので、設計の仕事と同じくらい大事にしています。テラダモケイも建築設計も、表現方法は違いますが、実現したいことの最終目標は同じなんです」

直営店を開いた理由も、テラダモケイのシリーズが増え過ぎて全シリーズ見られる場所が欲しかったということに加えて、直接リアルなお客さんと接してみたいという思いが強かったのだそう。土日には寺田さんがエプロンをかけて店頭に立っていることもあるので、ふらりとお店に入ってみるとご本人に会えるかもしれません。

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下北沢を選んだわけ

テラダモケイは、下北沢の劇場「ザ・スズナリ」の並びの脇道を奥へ進んだ左手にあります。もともと新宿に事務所をかまえていた寺田設計事務所が、オフィス兼直営店の場所として下北沢を選んだのには、明確な理由がありました。

寺田「下北沢って無目的に歩いている人が多い気がしたんですよ。例えば、青山や代官山のような街は、ブランド店の存在感が強くて、ブランド目的で街を訪れる人が多いですよね。でも下北沢では、若いカップルなど店にふらりと入ってもらえるイメージがあったんです。それに青山で一日過ごすのは結構疲れるじゃないですか。でも下北沢なら、余計な気をはらずに地に足をつけて過ごせる感じがしました」

最近土日をつかって、お客さんと一緒にテラダモケイを組み立てるワークショップも始めたのだそう。寺田さんにとっても意外だったのは、テラダモケイは大人向けにつくった商品なのに、子どもたちが夢中になることでした。

「先日開いたワークショップでは、意外とご近所さんの参加が多かったんですよね。私たち自身もこの下北沢の地域コミュニティの一員として、地元のファンの方々と仲良くやっていけたらいいなと思います」と、嬉しそうに話す寺田さん。

テラダモケイを通じて、お客さんとの交流が生まれたことも、人の暮らしをデザインする設計の仕事に、大きな意味がありそうです。
不思議な吸引力をもつ下北沢という街に、またひとつ面白い店が加わりました。

(撮影:上から3番目の「屋台編」の写真のみKenji MASUNAGA、それ以外の写真すべて庄司直人 )

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